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ただどうしようもなく不安に駆られたわたしの心。さらにそこに、雨降りそうな暗雲がわたしを襲う。

つつかれたダンゴムシみたいに丸まっていたい。何〜にも考えずにただ部屋の隅っこにいたい。そんな気持ちは不定期に不意に、現れるもの。背伸びをしても、ハシゴに登っても、背が届かないところにあるような自分の理想像。目標を高く掲げがちな人が陥る現象。
自分の目指す直近のゴール。それが自分の近くにないから不安になってしまうんだよね。

そんな気持ちに包まれてしまったのは、一週間ほど前。

両手を伸ばしても届かない。そんな遥か遠くの存在。
noteを休業発令してから少し経った今、わたしが考えていること、感じていることは、

『それは、趣味だからできること」、「お仕事なら…と考えたときにはできない手段」だと。


お仕事なら、「わたし今日、文章書く気になれないみたいなんです…だから明日でもいいですか?」なんてことを言ってられる時間もないし、そもそもそれはわたしにはできない。でも、わたしが好きでやり始めたのだから、noteは毎日のように更新してもいいし、しなくてもいい。最近そんなふうに思うようになりました。

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人に迷惑をかけなければ、っていう思いが良くも悪くもある気がするのはわたしだけ?

それで、心が折れかけたときもがんばれる。
そんなシチュエーションもあるし、逆に応援してくれている言葉がプレッシャーとなるときもある。

空模様みたいにそのときの気分で受け取り方も違ってくる。…自分勝手と言われればそれまでだけど。
noteを休業させてくださいと休業宣言を発信したあの日、実は、名前のつけようがない不安の渦に飲み込まれそうになってたんだ。

それに巻き込まれそうになっていて、『あ、今noteを書いても、ブラックな記事しか書けないな』。そんなふうに感じたのです。

それなら、思い切ってお休みを貰おう、心が元気になったらまた始めよう。『心から元気になって、記事を書きたくなったら。元気をあなたに届けられる、心が温かくならような記事を書けるようになったらまた、始めよう』。
そのように心を休めるように仕向けるための、
わたしなりのオフモード練習期間だったのです。

わたしの名前は何も与えられていない、「不安」に分類されるだけの気持ちだ。

なんて、あまりにも寂し過ぎるから。
せめて生まれてきた気持ちにくらい、名前をつけてあげようよ。
あなたにしかわからない感情が、どんな名前かなんて、その人のみぞ知ること。
「わたしだけの」特別な感情ラベリングをしてみませんか?

それは、ゲームのようにやり直しが効かないわたし達の人生をとびっきり謳歌するためでもあるし、泣いても、笑っても、怒っても、悲しんでも、どれを取っても人生は一度きりなんだからさ。
どうせなら自分が楽しめたって思う最高の一枚を残そうよ。

「不安と闘うことに疲れた」と投げやりな気持ちになるときもある。
心の不安を完全に排除することなんか不可能だから、それなら、芯をブレなく、強いものにしてしまう。それが一番の方法なのかも。

でも、いつでもポジティブな気持ちになれるわけじゃなくて。
怒りたいときには怒って、泣きたいときには泣いて、笑いたいときには笑う。はしゃぎたいときは思い切りはしゃぐ。そんな生き方が理想と呼べる形なのかもしれない。

自分一人分の命を何人分も生きたかのように充実させることも、無理しないで生きることも、あなた次第で変えられる。それは、わたしにも当てはまること。

人生の最終章で「こんなわたしの生き方を後世に伝えられたらな」と思える生き方が、少しずつ明確にできたらいいな。

【不安と闘うことも、不安と共存できるまでになる】
そんな生き方を目指します。

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