“気づき”。黙ってたほうがお喋りなことに気づいてしまった…
端的に話すことがどうも苦手らしいわたしだけど、「自分のことを一言で表してみて」と言われたら「これだ!」
ふと舞い降りてきた言葉達。
わたしが話をしたかったこと、しようとしていてもつっかえてしまう言葉、ずっとどうしてなのか分からなくて苦しかった。
みんなと違うことで目立つのはもうごめんだから。
でも、最近では
「みんなの前で話せなくなっても、わたしはわたしやもん」と開き直るまでいかなくても、無理に話そうとはしなくなった。
黙ってたほうが、おしゃべりなんじゃないの説が自分の中で確立しようとしているから。
どういうこと?
あなたの中に今浮かんだたくさんの疑問符さん。
それは、話を声に出してしようとするから支離滅裂になるのであって
頭の中で組み立てる文章だから
ちゃんとしたおしゃべりとして成り立っているのかもしれない、ということ。
最近ある本との出会いで、
高校時代お世話になった方が書かれたそれを手にし、読んだとき。
全てはわたしの勘違いだったことがわかったんだ。
自信があるように見える人も、
実は本番前に、裏舞台で悩んでる。
悩んで、ちゃんと
自分と納得いくまでの話し合いをしたから
すっきりしているふうに見えているんだって。
わたしは、今を
自分と関わりあえているんだろうか。
わからなくなってきた。
わからなくなってきたことが、不安でどうしようもなく嫌で、自分を嫌いになっていたとき。
全てをリセットしたい。
自分を嫌いになる前に戻りたい。
「好きなものは好き!」と疑うことなく言えていたあのときに、もう一度戻れるだろうか。
今なら戻れる気がする、と
思えるのは夢。
現実を見なさい
と言われるのはわかってるけど
やっぱりわたしは
取り戻したいものがある。
学生時代に得られなかったもの、手放してしまったものをもう一回、あと一度でいいから
取り返したい。
“みんなと違う”
とか、「一緒にならなきゃ」とか
そんな理由で、「みんな一緒」になるために手放してしまった大切なものが実は大切なものだったんじゃないのかな。
今でもたまに見る夢は、
キラキラと眩しい。
わたしなんかにできるのかなと不安になるときもある。
でも、曖昧なものの中に自分を埋もれさせてしまうのはなんか悲しいから、もう一度自分自身をびっくりさせてしまうような「自信」を自分で見つけてやろうと思う。
またひとつ、夢に向かって歩き出した。
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