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#02 そうか、私は頑張りたいのか |超短編小説|1話完結

 仕事から帰ると、彼女はポケットに入れっぱなしだったスマホを無造作に取り出し、充電器につないだ。椅子に置いたバッグから、ほんの少しはみ出した白い紙が視界に入る。少し前に職場で配られた『効率的なタスク管理術』の資料だ。

「はぁ……」
 彼女はベッドに腰を下ろし、重たい気持ちでバッグの中から資料を手に取る。資料を見つめていると、頭の中で上司の声が何度も響いてきた。

「頑張っているのは分かるんだけどね、もう少し効率よくやれるといいんじゃないかな?」
 その度に胸の奥がきゅっと締めつけられるような感覚。資料には、『時間管理の重要性』だの、『段取り力向上の秘訣』だの、何度見ても頭に入ってこない言葉が並んでいた。

 自分なりに工夫はしているつもりだった。でも、結果が伴わないのは何かが足りないせいなのかもしれない。「こんなの渡されてもねぇ…。」 静かな部屋のなかで、胸の奥にわだかまっていたものがじわじわと押し寄せてくる。静かすぎて、その音が聞こえてくるみたいだ。疲れと焦りが混ざり合って、重たい空気が部屋全体を包んでいた。

 しばらくして彼女は、その重たい空気を断ち切るように、充電器からサッとスマホを取り「メモアプリ」を開いた。タイトルに〈今日の気持ち〉とだけ打ち込むと、今度はふと指が止まる。

(あれ…なんだろ…なんか書きだそうとしてたのにな…?)

 しばらく考え込んだ後、ひと言だけ入力した。
〈今日は疲れた〉
 送信ボタンを押すような軽い気持ちで保存し、アプリを閉じた。

 職場で配布された資料には、業務改善の具体的な提案と目標を考えて、数週間後に提出するように記されていた。
 でも次の日も、またその次の日も、資料を開くことができずに、彼女はメモアプリに短い言葉を記録し続けた。

〈嫌なことがあった〉
〈楽しかった〉
〈自分、ちょっと頑張ったかも〉

 そのまま数週間が経ち、上司への提出日が2日後に迫っていた。
 「今日こそ、資料読まないとなぁ…」と、手に取ったのはスマホ。数日書いたメモを辿ってみた。どれもたわいもない一言日記のようだ。でも読み返してみると、少しずつ自分の思考がみえてくるような気がした。

(……なんか、もがいてるなぁ…)
 書き留めた言葉を眺めていると、同僚の「無理しないでね」という優しい言葉も、上司の「もっと工夫して」という励ましも、どちらも心にひっかかる。どうして素直に受け止められないんだろう。

 その夜、彼女は何気なく動画アプリのおすすめに出てきた「書くことが自己対話の第一歩になる」という動画をみた。
 「言語化することで思考が整理される。すると、落ち着いて行動ができるようになります。」… 難しいことは分からないけれど、脳科学的なことを言っているようだった。

(あ、これって私が今やってることかも…?)
 メモを読み返してみると、自分の中の矛盾が少しずつ見えてきた。
「頑張りたくない」と思う自分と、「もっとできるはず」と思う自分。その奥には、頑張っている自分を否定されることへの抵抗があったのかもしれない。

「……そうか、私は頑張りたいのか。」

 その言葉が心に浮かぶと、そのまま声にしていた。胸の中に静かに温かいものが広がり、部屋の空気も温かくなった気がした。それは決して無理を強いるような熱ではなく、自分自身を肯定する静かな温かい明かりだった。

 次の日から、彼女はスマホメモを少し工夫するようになった。「自分への質問」を書き加えるようになったのだ。
〈今日はどんな瞬間が楽しかった?〉
〈次は何をやってみたい?〉
その答えが具体的でなくても、何も思いつかなくてもいい。ただ、書き留めることが彼女にとって大切な時間になっていった。

 ギリギリになったけれど、配布資料にはすべて目を通し、自分なりの業務改善案と、クリアできそうな小さな目標をまとめて提出した。上司は、少し物足りない様子を見せつつも「この改善案なら、着実に進められそうだな」と言った。その言葉を聞いて、彼女は少し肩の力が抜けるのを感じた。

 完璧を求めすぎなくていい。自分のペースでいいんだ。 そして少しずつ、自分が本当にやりたいこと、心地よいと感じる瞬間を見つけられるようになっていった。それは大きな変化ではなく、小さな光がゆっくりと広がるようなものだった。毎日のメモが、その光を少しずつ強くしていくように思えた。




あとがき

 私は、整理整頓がとても苦手です。段取り下手で、改善の本を何冊読んでも難しいです。今は、出来る範囲を見極めて(諦めて…とも言います)、整理整頓が得意な人にお願いするようにしています。

 頭の中も、とてもごちゃごちゃしています。そこに突如やってくる様々なメッセージで、さらに頭の中が散らかってしまい、大変な時期を過ごしました。

 しかしながら今思えば、その頃に習慣にしていたことが日記でした。休みの日に、静かで落ち着けるカフェに行って、頭の中に浮かんでくることをただひたすらに書き出していました。意外とこの習慣が、ごちゃごちゃした頭の中を整える大切な時間になっていたのかもしれません。それで、大変でもなんとかやり過ごせていたのかもしれません。もしかすると、今ではよく見聞きするようになった「ジャーナリング」…、あの頃の私のやっていたことだったのかもしれません。

 その後コロナ禍になって、カフェに行く機会がぐっと減りました。そんな中、過労による眩暈を経験し、体調管理に気を配るようになりました。体調管理の中に、思考感情の整理も含めるようにしました。

 今はスマホの「ジャーナリング」アプリに思い浮かんだことを記録して、自分の思考や感情を時々見返しています。時にはカフェに出かけることも再開しています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました✨ *芳雪*


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