
招き猫に招かれて。卒園制作のプロフィール帳の話。
写真とかは残ってないけど、ありありと思い出せる卒園制作のプロフィール帳。
お誕生日やら名前やらの他に、大きくなったら何になりたい?とか、好きな食べ物は?とか。
事前に親だか、先生に聞かれ、答えたものを書いてもらうシステムだったはず。
その中に
『好きな絵本』というのがあった。
私は当時から本が好きだった。
今だって、幼稚園で配られた絵本の内容をいくつか思い出せるほど、読み込んでいた。
基本的に、自然に関わるものが好きで、図鑑や動物の出る物語を好んでいたように思う。
だから、先生も親も、私がその本を選択するとは思っても見なかったのだろう。
小さな私は、なにを思ってかこう、答えたのだ。
「ゆきおんな」
きっと、一瞬大人たちは凍りついたことだろう。ゆきおんなだけに。
そして心の中で『なんで?!』と素早くツッコミを入れただろう。
私が覚えているのは、先生からも親からも
「ほ、本当に?なんでもいいんだよ?ゆきおんな、でいいの?」
と聞かれたこと。
私は頑なに『ゆきおんな』を推した。
たぶん、イヤイヤ気分が発動してしまっていたのだろう。好きな絵本なんて、実は何でも良かったのではなかろうか。
私は幼稚園が好きだった。
卒園制作ということは、幼稚園とサヨウナラなのである。
子供の私は、それを感じ取っていたからこそ、それを作ることに嬉々として取り組めなかったのだろうと大人の私は推測する。その辺りは虚覚えだ。
そりゃそうか、随分遠くへきたもんだ。
『つくらなかったら、幼稚園にまだいれるかも』という、とても子供らしい駄々こねの結果、ゆきおんなは抜擢されたのである。
さて。
時は進んで、私は先生が書いてくれた綺麗な「ゆきおんな」の文字だけを忘れず、ちょいちょいネタにしながら生きてきた。
大人になった私は「ゆきおんな」は切な恐ろしい話、だと思う。
凄く好きな話かというと、別にそこまで好きでもないかな。
そう、思ってたのだけれど…
招き猫のアイコンが私を招いてくれたのだ。
新しい「ゆきおんな」の世界に。
よくある着物姿ではない、ジーンズにTシャツという夏の装いのゆきおんなのお話だと?!
どれどれ、拝見させていただこう。
……。
………………。
…………………………。
読み終えて思う。
「ゆきおんな」
好きだわ。
やはり、私は「ゆきおんな」を推した幼児だったのだ。
どこかで「ゆきおんな」に対してリスペクトの念を抱いていたのかもしれない。
冷たくも温かな雪山の彼女達に幸あれ。
というわけで、唐突にmioさんの書いたゆきおんなの話を紹介したわけです。
読んでない方はぜひ!!
きっと、あなたも「ゆきおんな」を推したくなることでしょう。
*****
私は私の好きなものを好きと言いたい。
好きな時点で、もう、嬉しい。
好きと思えることが嬉しい。
そしてそれが、誰かに響いたりしたら尚嬉しい。
私にとって、ここnoteで誰かを紹介するということは『私の好きなものへの気持ちを発信する為にすること』なのだと思っている。
『誰かのためにする』人もいると思うけれど、私の場合それは、副産物というか、ラッキーで手に入るものだ。
好きな誰かのためになったら、ラッキーだし嬉しいけれど、もうすでに、私が好きなのだから、それだけでもいいじゃないかと思う。
私が嬉しくて、楽しく踊り散らかして、それを笑って貰えればそれでいい。笑ってもらえなくてもいい。
私は私も楽しくて、嬉しくて、その結果、誰かが楽しくて嬉しいというのが好きなんだ。
わー、自己中心的な思考回路。笑
それでもいいさ。
私が自分を中心に世界を見たときに感じたもので、誰かは喜び、誰かは傷つく。
そういうものだよ。
コントロールしたり、取り繕う事は出来なくはないけれど、そればっかりだと、気持ちまで塗りたくるみたいで、私は気持ち悪いからしたくないんだ。
誰が為にと問われれば、己の為にと答えたい。
誰かを傷つけないのも、喜ばせたいのも、己の為なのだから。
そんなふうに私は今日も電子の海に存在している電子くらげ。
西の方は大嵐のようだ。
皆様お気をつけてお過ごしください。
何事もなく風達が駆け抜けていきますように。
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