見出し画像

熱心に教えられたわけではなく、馴染むようにソレだった話

⚠この記事は特定の宗派や考え方を推し進めるものではありません。また否定するものでもありません。
ただ、今にして思えばというような、私の感覚の話。実家の宗派の話。


ちなみに現在の私個人は『コスモ教』なので、宗教の勧誘等は間に合っています(*`・ω・´)キリッ

✽コスモ教とは✽
koedananafusiのつくった教え。しつこい宗派勧誘撃退の為に玄関先で生み出したのが始まりとされる。
他の信仰者は今の所ゼロ。日々、ゆるく生きることが大切と説く。 
『さいごはみんな宇宙の欠片になるんだから、まぁいっか』
御神体等は無く、特に唱える言葉もない。必要なのは宇宙を大切に想う心だけ。
宇宙にある好きなものを大切にね!(全ては宇宙にある)

 
という、茶番的前置きで和んだ??ところで本題。


般若心経だった。
幼い私がお寺で聴くのは。
般若心経だけであった。


結婚して、割とすぐに夫の母方の祖母が亡くなって葬儀に出かけた。

こんなことを言うのはなんだが、私は葬儀場で焚かれるお香と、深く響く般若心経が好きだった。

『般若心経』
それは真言宗・天台宗・曹洞宗・浄土宗などの宗派が唱えるもの。我が実家は真言宗であった。

しかし、ところかわれば葬儀もかわるもので。

夫の実家は浄土真宗であった。
夫は自分の実家の宗派を知らなかったが、何となく幅広く、般若心経だろうと思っていた私は聴き馴染みのない『南無阿弥陀仏』に面食らう。

般若心経を聴けると思っていた私は、南無阿弥陀仏と唱えながら、何処かモヤモヤとした気持ちになった。

『なにか…ちがう…………』

私の実家は、宗教に熱心ではないと思う。
祖父母が存命の時は、それこそ盆だのに提灯を持たされて、迎えも送りもしたが、それも祖父母が世を離れ、やるのは父のみになった。
祖母や祖父から、そういう類の事を口酸っぱく言われたこともない。
母方の祖母は、毎日『般若心経』をあげる人だったが、孫にそれを強要したりしなかった。

幼かった私達きょうだいはおリンをチンチン鳴らして、無駄に線香をたてまくり、マッチで勝手に火をつけ怒られ、お供え物のメロンを禿鷹のように狙い、立派に飾られたユリの花の花粉を手指につけて仏壇を汚し過ごした。

とても自由だったと思う。
誰かがこんこんと教えを説くとか、そういう事はなかったのだ。
ちょっとずつは、あったのかも知れないが。

それでも、何故か私は実家の宗派、総本山は何処か、般若心経の意味などを、なんとなくでも知っていった。
そして、その厳かな空気を何処かで大切にしている。たとえ、普段は何も気にしていなくても。

幼い頃からどこか興味を持っていた。
それは言葉にならない教えの奥にあるのだと感じる。

けして、強要されなくとも、馴染む教えというのはあるのだ。
考え方としては好きなのだろう。真言宗の教え、密教の教えが。

大人になり、調べ読み、なんだ、私の普段の考え方が、空海が持ち帰ってきたものに近いのかと笑ってしまった。
それもそうか。全てはながれ。密教もそういうものだと感じる。

真言宗の「真言」とは仏の言葉をさす。
それは人の言語にはならない言葉とされ、真理そのもの、森羅万象、大宇宙のそれである。

なんだ。
私が普段感じ取ってるもののことか。と、調べ読んで思った。
(寺の関係者に見られたらすごい怒られそうなこと言ってる気がしなくもない)


大切なことは、遥か昔から変わらずある。

ただ、それを感じ取る心が弱ってるのだろうと、世の中を見て思う。
忙しなくシステマチックに進む現代で、それは隠れてしまうのかもしれない。

「宗教」という言葉だけが遊んでいる。悪いように。そう思う。
本来は偏るものではない事を、人の力で歪め偏らせ、それをさも本当の教えであるようにみせ、おかしくしている。


私は、様々なものの中から、大切で温かいものを感じ取って生きている。
そこには誰が神だの、命の重さだの、何だのかんだのはないのだ。
ただ、言葉にならない、しかし確かな流れがあり、それは万物全てなのである。


それでいいではないか。

私はこの手の話は力を使うのであまりしない。
言葉にするのがしんどいのだ。
形をどんなに整えても、伝わる時に少し歪む。
言語とはとても不便なものである。

それでも、なんとか少し形にして電子の海に書き留める。


どの教えでもいい。
それが馴染んで、優しく寄り添ってくれるなら。

何事も過ぎれば毒だ。

私は私が知り得た大切なことは心に置き、どうでもいいと思ったことは捨て、命のギリギリまでこの星を観測し、この星の離脱の日を待つ。それだけ。


画面の前のあなたは、あなたの大切にしたいものを大切に出来たらいいね。
囚われる事なく、しかし、確かにそっと寄り添ってくれるなら、きっと大丈夫。


そうであれ。
というのは、私の個人的な願いである。

ここは私の庭だから。
私はここで祈るのだ。
いつかみんな宇宙の欠片に戻る。
だからこそ
この物質の星での一時は
素敵な体験であれ、と。

サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。