中学生だった時、私は真っ白な表紙の本をだしたかった。
今回も創作大賞を素通りしてしまったなぁと、あと数日あるが思う。
中学生の私が見たら殴られるぞ、私。
ノート。
本当にノートに一生懸命に書き綴った物語は、一つとして世に出回ることはない。
創作大賞なんて、中学生の私がとんでもなく求めていたものだろう。
拙い自分の物語が、世界に触れるチャンスなのだから。
こんなに簡単に文字をうちこめるものもなく、当時の私は、とにかく、懸命に、ノートを物語で埋めていた。
今からでも遅くはない。
世の中に出すチャンスは沢山ある。
けれど、私は…本当に物語をたくさんの人に読まれたいのか、悩むことがある。
そんなの読まれる前提でおかしな悩みだが、私は何を伝えたいのだろうかと考えると、時々わからなくなる。
物語は頭の中で生まれてくる。
そうすると、私は楽しくなって、物語と遊ぶのだ。
けれど、世に出回る物は、どこか何かメッセージやコンセプトがしっかりしていて、そうでなくては駄目な気がしてくる。
そんなのは言い訳かもしれなくても、なんとなく、そうやって、出すところに出せずにいる。
中学生の私の物語を思い起こそう。
私は白紙の…表紙の本を書きたかった。
それは、本になってはじめて完成する物語である。
本の表紙にあるべき題名のない、著者名が小さく印字されただけの、白紙のハードカバー本。
中身は、、、覚えている限り、登場人物に名前は無い。
ありきたりなファンタジーであったはずだ。
その本の醍醐味は、読み手が思い思いの題名をいれられること。
登場人物に名前がないのは、登場人物が読み手だからである。
RPGゲームの最初に名前を入れるように、小説でそれをやろうと考えていた。
本屋に並ぶ、沢山のカラフルな表紙や、心躍る題名のなかで、真っ白なそれが積まれている。
TVや雑誌で紹介しにくいだろう。
それでいい。名前だけが独り歩きしない、手にとって開いて読んだ人の為の物語だ。
《誰にも縛られない、あなたとつくる物語》
現在の私がキャッチコピーをつけるなら、こうだろう。帯も真っ白で、このキャッチコピーだけが小さなフォントで打ち込まれている。
当時の私は物語に自由であってほしかった。
読み手にも自由に本を愛してほしいと思っていた。
何者かを愛するのではない、自分を愛する物語が必要だと考えていた。
だから、私は真っ白な本を作りたかった。
『本の題名を他の人はなんてつけるだろう。どう感じるのだろう?』
そう考えて、ワクワクして、私はノートを埋めていたのだった。
今思ったけれど、塗り絵みたい。
大枠は私が描くけれど、色を付けるのはたくさんの人達。
私はみんなと創造したいんだ。
一人で完成させたり、それだけで完璧であることより、寄り集まって創られたものが好きなのかもしれない。
もちろん、どの本も読み手がいて、たくさんの人の手があって世に出回るので、そういう意味では寄り集まってつくられているのだろう。
それを、大人の事情抜きに、もっとよりダイレクトに感じたいというのが、中学生の私の中にはあったのかなと大人と呼ばれる年齢の私は思う。
私にとって物語は、大切な事を教えてくれるもの。
きっと、これからもそうだろう。
どうか、物語を生み出す素敵な心が、囚われることなく呼吸をして花開きますように。
その柔らかな花から、蜜を吸うように、命の繋がる言葉を感じていられますように。
あなたの物語が続きますように。