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はらぺこ花嫁
仕事の現場で、一度だけキレたことがある。
最初に言っておくが、私は現場で難しいタイプではない。気分屋ではないし、きちんと笑顔でご挨拶もするし、楽しい雰囲気になるように心掛けるし、NG事項だって何ひとつない。多少の腹立つことがあっても、いちいち目くじら立てて怒ったりすることもない。極めて扱い易いタレントのはずだ。
しかしだ。20代前半だったと思う。たった一度だけ、ブチ切れたことがある。16歳から約30年この業界にいて、後にも先にもこの一度だけだ。
その日は、モデルの仕事でブライダルの撮影だった。花嫁衣装を着て、ホテル内や庭で撮影をする。
ブライダルの衣装には和装と洋装があるが、和装は、非常に体力を消耗する。
まず何といっても頭だ。カツラをかぶるためにビチっと髪をまとめるが、この時点で既にツライ。私はそもそもギュッと髪を縛ったりカチューシャで締め付けるのが苦手なタイプで、すぐに頭が痛くなってくる。
髪が落ちてこないようにしっかりと締め上げられた坊主頭に、カツラをかぶせる。重さは約1キロだ。長時間かぶっていると、結構ツライ。
しかし和装は、これだけではない。
最後に羽織る色打ち掛けが、かなり重いのだ。特に撮影用ともなると、一番高級なモノを着ることになる。色とりどりの刺繍が施されて非常に手の込んだ美しいものだが、これが5キロ以上、豪華なものだと10キロもあったりする。この状態で、朝から夕方まで撮影するのだ。
さらに撮影も体を酷使する。
和装の場合、撮影中は大きく動けない。ポーズが決まると色打ち掛けの柄をしっかり見せるため、ヨレなどを綺麗に直して撮影。この間、重心はほぼ片足に乗せたままの前傾姿勢となり、顔の表情や角度だけで変化をつける。何枚か撮り終えて違うポーズに変えると、またスタイリストが入って色打ち掛けを綺麗に直す。体は大きく動かさず、顔の表情や目線を変えてパチリパチリと撮影。
これが数カットだと大した負担はない。綺麗な花嫁衣装を着られて嬉しいだけだ。しかし1日に数十カットともなると、そうはいかない。喜んでいられるのは最初のうちだけ。次第に、頭も腰も悲鳴を上げてくる。
ブライダルの仕事とは、その華やかな見た目の裏側に、肉体への過酷な試練があるのだ。
とはいえ、やはり美しい衣装を着られるのは女性として嬉しいものだ。ブライダル雑誌のモデル撮影だと、1日に30着ほどの着物やドレスを着ることもあるが、それでも体の辛さより綺麗なドレスを着られる喜びの方が大きいので、最後まで楽しく仕事ができる。
しかし、この日の現場は違った。
とにかく段取りが悪いのだ。
「この衣装を着てください」
というので着替えると、
「やっぱり、こっちの衣装でした!」
となるし、
「ロビーの階段で撮影します」
というからそちらに行けば、
「やはり外に出て撮りましょう」
となる。
それでなくとも体を酷使する和装だ。こうした無駄は、体に響く。さらに段取りの悪さで時間を無駄に費やすため、休憩は皆無。体の疲労スピードは一気に加速し、午前中ですでに足腰は痛くヘロヘロだった。
お腹空いたなぁ。
時刻はもう14時をまわっている。
お昼ゴハンは、まだ出てこない。
ぐぅ〜きゅるるる。
お腹の中で怪獣のような音が鳴っても、撮影はまだまだ続く。早朝から休憩無しで和装を着続け、かなり辛くなってきた。
「この衣装が終わったら、お昼を挟みましょう!」
カメラマンが全員に伝えた。
やったー!待ってました!
ようやくお昼を食べられる!
カツラが取れる!
休憩ができる!
「よっしゃあ!頑張るでぇ〜!」
私は張り切ってポーズを取った。
ゴハン!ゴハン!ゴハン!ゴハン!
大喜びで控え室に戻り、カツラを外し始めた。
その数分後、
「すみません。お弁当がまだ届いていないので、次の衣装やっちゃいましょう!」
私は、膝から崩れ落ちた。
心が折れたのだった。
最初から「次の衣装まで」と言われていれば、その心づもりでいるから問題無い。しかし疲労がピークの時に「この後、ゴハンです。」と言われ、カツラを外して食べる気満々になったときの『もう1カット追加』は、ガックリくる。
しかし、、、仕事だ。やらねばならぬ。
私は気持ちを立て直してカツラをかぶり、色打ち掛けを着た。
今度の撮影場所は、スタジオだ。
スタジオに入ると、、、。
あれ?電気が消えている。
おかしいな。ここで撮るっていったよね?
「六車さん、すみません。少しこの椅子に座って待っててもらえますか?」
「え? あ、はい。」
私は言われるがままに座り、待った。
スタジオのパーテーションの向こうでは、スタッフさんの話し声が聞こえる。
何かトラブルが起きたのかな?
仕方がない。待つしかない。
それにしてもお腹が空いたなぁ。
もう夕方だ。
お腹が空きすぎて、グゥーとも言わない。
はぁ。。。やっとお昼ゴハンを食べられると思ったのに。
すると、隣からプ〜ンと良い匂いが漂ってきた。
あぁ、、、お弁当の匂いだ。
食べたい。
しかし五分経っても十分経っても、誰も来ない。
これって、、、。
もしかして、パーテーションの向こうで、皆お弁当を食べてる???
そこへ女性スタッフがやってきた。
「もう少し待っててくださいね。」
「すみません、今って何待ちですか?かれこれ10分近く待ってますけど、、、」
「それがね、ちょうどお弁当が届いたから、やっぱり先に食べようということになったんですよ。でも六車さんは着替えると時間がかかってしまうので、、、。私たちだけ先に食べてます。六車さんは撮り終えたら食べてくださいね。スタッフが食べ終わるまで,少しお待ちください。」
ぶっちーん。
堪忍袋の尾が切れた。
ふざけるなっ!このボケがっ!!!
「ちょっと、待ってください。段取り悪すぎませんか?朝から指示が二転三転してばかり。今もお昼ゴハンだと言われて準備したらもう1カット撮ると言われ、着替えてスタジオに入ってきたら、今度は皆さんの食事待ちですか?」
女性スタッフの顔色が変わった。
「ごめんなさいね。お腹空きましたよね。」
「空いてません!そういうことじゃないんです!段取りの話をしてるんです!言っときますけど、お腹が空いてるから言ってるわけじゃないですからね!」
「よかったらコレでも食べませんか?」
女性スタッフが、せんべいを一枚持ってきた。
「いりません!お腹が空いてるから怒ってるわけじゃないんです!」
ぐぅぅぅきゅるるる、、、。
「まあまあ、食べてください。」
「そういうことじゃない!!!」
結局せんべいを持たされた。
これだとまるで、はらぺこだから不機嫌になったみたいではないか。
違うぞ。
言っておくが、私はお腹が空いたから怒ったのではなくて、現場の段取りの悪さを言ってるんだ!
ポリポリポリ。
おぉ、せんべいのなんと美味いことよ、、、。
もう一度だけ言っておくぞ!
私は、段取りの悪さを怒ったのだからな。
モデルを何だと思ってる!?
こき使われたら疲労もするし、お腹も減るんだぞ!
・・・けして腹ペコだから怒ったわけじゃないからな!