語り継ぐことで救われる魂がある〜児童書『怪談売買所』
突然ですが、怖い話は好きですか?
私は大の苦手です。
大河ドラマの戦シーンや、火曜サスペンス劇場での死体発見現場のシーンなんて、子どもの頃はいつも目を背けていました。そう、誰かの「血」が苦手なんです。
もちろん、ホラー映画の金字塔『13日の金曜日』や『エルム街の悪夢』を観ようだなんて1ミリも思ったことなどありません。
あとは『世にも奇妙な物語』もダメでした。観終わってベッドに入ったら夢に出てくるかと思うと、震えが止まりませんでした。
稲川淳二の怪談ライブだなんて、もってのほか。私の一生には一切関わりはないだろうと思っていました。
でも今、なぜかハマっています。
きっかけは、児童書『怪談売買所〜あなたの怖い体験、百円で買い取ります〜』(著/宇津呂鹿太郎)。
まさか、怪談がこんなに奥深い世界だったなんて。
今日は「怪談」の概念が180度ガラリと変わった、著者宇津呂鹿太郎さんによる、怖いものを見るときに意識したい3つの視点を紹介します。
兵庫県尼崎市のさびれた市場に実在する店『怪談売買所』とは
怪談売買所は、本当にあった怖い話を100円で買い取る、月2回だけ開店するお店です。
店主は怪談師・怪談作家として活躍中の宇津呂鹿太郎(うつろしかたろう)さん。店内は薄暗く、壁には墨で描かれた幽霊画が整然と飾られています。長机に目を移すと、ロウがびっしりついた年季の入った燭台が。揺らめくろうそくの炎が、宇津呂さんとお客さんの顔を妖しげに照らします。
(このシチュエーションだけで十分怖い…。)
店先の説明書きによると、怪談売買所は以下のようなシステム。
怖い体験談を店主の宇津呂さんに話して100円で買い取ってもらうのもよし、その100円で宇津呂さんから本当にあった怖い話を聞くのもよし。いわば、対面式で真剣に怪談と向き合う場となっています。
怖い話といっても様々で、話だけでなく、心霊写真や動画、持っていると不思議なことが起こる鏡などいわくつきのアイテムを持ち込む方もいるのだそうです。
「怪談売買所」から生まれた1冊の本
児童書『怪談売買所〜あなたの怖い体験、百円で買い取ります〜』は、この怪談売買所で100円で買い取った本当にあった怖い話が、13話収録。
本の価格は100円✕13話=1300円。リアルな価格設定で素晴らしい。
収録内容は、「たずねてきた人」「すずの音」「消せない動画」など。シンプルな短いタイトルが、読む人の想像力をかきたて、余計に恐怖を煽ります。
でも、たったひとつだけ、一般的な怪談本とは違うところがあります。
それは、1タイトルごとに物語内の店主・宇津呂鐘太郎による「怪談の解説」が添えられていることです。
怖い話が苦手な私が取材きっかけに『怪談売買所』の本を思い切って購入し、こわごわ読み進めた私はいつのまにか泣いていました。怖くて泣いたのではありません。
もう一度書きましょう。
怪談本を読み、感動して涙を流しました。にわかに信じがたいでしょう。
これもひとえに、解説があったからこそ。
人生を怖い話とともに歩んでこられた宇津呂さんだからこその怪異への視点。これらは、私達人間が大切にしなければならない本質を突いていました。心底ハッとさせられました。
怪談は、人間が見て感じたことを、人間が語り継いでいるもの。それを大前提として読み進めていただけると幸いです。
視点1:死んでいる状態というのは、異質なものではない
人は幽霊を見ては怖がります。夜中の墓地できもだめしをして、エンタメ感覚ではしゃぐ人たちもいます。幽霊というこの世のモノではない異質なものを無意識に排除しようとします。
以下に、七つ目のタイトル「あの家にはひみつがある」の解説の一部を紹介します。
読んだ瞬間、体の中からぞわぞわっとしたものが湧き上がりました。それは今までの私が超霊現象に対して感じていた嫌悪への罪悪感です。
私が日々を過ごしているのと同じように、幽霊だって現世に出てきて過ごすときもある。それをどうして嫌なものだと決めつけ、毛嫌いしていたのでしょう。
生きていようが死んでいようが、見た目は同じ。怖がる基準は、ひどいことをしてくるか否か。ましてや勝手におもしろがるだなんて、幽霊にとっては品のない行為でしかありません。
「霊は怖い」という先入観だけで善悪を判断する。この人間のおぞましさにゾッとしまいました。
視点2:怪談を語ることは鎮魂につながる
多くの人が、怪談をエンターテイメントとして“消費”しています。しかし、見方を変えると、死者が引き起こしているかもしれない怪異現象をふざけたものとして扱っているといった捉え方もできます。
そこで読んでもらいたいのが、十一こ目のタイトル「人外魔境」の最後に添えられている「店主のひとりごと 鎮魂」です。
ぐうの音も出ませんでした。かつて「死」は忌み嫌われ、縁起が悪いものとしてないものとされ、家の中で隠し通されてきたといった事実があります。
実際に亡くなった人や、その人のそばで寄り添っていた人たちは、どんな気持ちで過ごしていたことでしょう。
かつてあった、知らない誰かの死は、私達にとっては怖いものかもしれません。でも、確かにこの世にしあわせに生きていたであろう、普通の人だったはずです。
もし確かに生きた自分という存在がないがしろにされたとしたら、正直つらくて泣きます。
だからこそ、むごい出来事で亡くなってしまったという無念を、怪談として聞いた私達がただ受け入れる。ただ、それだけでいい。その人が「確かに生きた証」として報われることにつながるのかもしれません。
視点3:怖さの向こう側を知ろうとする
私の涙腺が崩壊したのは、十二こ目の怪談「犬の散歩」。タイトルの通り、体験者が、犬の散歩中におじさんの幽霊に遭遇するお話です。
「こわいけど、少し悲しいお話ですね」と宇津呂さんがこぼした後、こう解説があります。
胸がぎゅっと締め付けられます。
幽霊という実体のないものは正直怖いです。でも、なぜ死んで幽霊となってこの世に出てきているのか、その背景に思いを馳せれば目の前の現象について、優しくなれると思います。
そして、どうしてその人の前に姿をあらわしたのか。きっとさまよっている自分自身を受け入れてくれる優しい人だと、一縷(いちる)の望みを持っていたからなのではと想像します。
幽霊になって出てきてしまうワケが、きっとあるはずだと、宇津呂さんは持論を展開します。
怖い気持ちの向こう側について、想像力の翼を広げる。人のつらさや痛みを知る。そうすることで今生きる世界にもまた、やさしくなれるのかもしれません。
怪談の背景を知ることは、愛である
怪談のイメージがガラリと変わったワケ、おわかりいただけたでしょうか。
すっきりさわやか。もの悲しいけれど、心にあたたかなものが灯った読後感。世界の見方が変わった。怪談本で、まさかこんな体験をするとは。本当に驚きの連続で、放心状態になったのを覚えています。(※怪談本であり、児童書です)
なんといっても、これらの本当にあった怖い話を、馬鹿にすることなく「私はあなたの話を信じます」と受け入れ、100円も支払って買い取っている宇津呂鹿太郎さんがすごいと思いませんか?
少年の頃から怖い話が好きで、あるとき怖い話の背景に思いを馳せるようになり、怪異現象に寄り添い、想像をふくらませたら、結果的に情に厚くなっていた。
だから、多くの人が誰かに“ないもの”として鼻で笑われたような内に秘め続けた話を、怖さの向こう側に寄り添い続ける宇津呂さんに託したくなるのかもしれません。
宇津呂さんは怪談をエンタメとして楽しむことを、もちろん否定はしません。むしろエンタメをきっかけにして怪談にふれることで、その真髄にふれてほしいと願っておられるように感じます。
「誰かの話を馬鹿にすることなく、疑うことなくまるっと受け入れる」ことの核の部分を、『怪談売買所』から教わりました。
読むと確実に視座が高まります。児童書として編成されているため、とても読みやすいのもうれしいポイント。「いっちょ涼んでみるか!」と、怪談の世界に迷い込んでみてください。
“どうかご無事で。”
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