横隔膜
横隔膜が隔てるところを触っていると、そこがちょうど私の上部分と下部分を区切っているような気がしてくる。
上は空気、下は栄養。その二つが無数の管を介して結ばれている。でも明確に交わらない二区分だから、横隔膜が境界線になって、上と下を決めている。どちらも生命の維持に不可欠なものだけれど、空気のほうが上にあるから、やっぱり大事なのだろうか。
横隔膜を押し下げ、大きく一息ついて、考える。
人が自分の意思でもって、自分に必要なものを身の周りに集めているならば、空気はどれだけ好ましいことだろうか。
望まなくてもそこにいる、欲さなくてもそこにある。食べたいものは自分で探すけれど、吸いたい空気を手元に置く人はあまりいない。
人間は、そもそも地球という凡庸な星の、それまた凡庸な大気に適合して進化したので、呼吸に必要な物質が、常に周りにあるのは当たり前かもしれない。進化論を否定したければ、すべて神の摂理だと言ってもいいけれど、どちらにせよ人間と外界の親和性は必然のことである。
私たちは普段生活をしていて空気を欲することはないし、呼吸をしたいと思うこともない。
それは自転車に乗るより簡単なことで、おぎゃあと産声を上げてから、ずっと休みなく続けている作業だ。
だけど実は、呼吸にはうまいヘタがあって、呼吸するのが苦手な人は、呼吸が自分にとって不可欠であると知らない人なんだろう。
命を成り立たせる行為と物質が、気づいたらうまく回らなくなって、あるいは誰かに阻害されたとしたら、そのとき人類は新たな肺を手にするだろうか。今までおざなりにしてきたことに目を向けて、四肢と脳の維持に躍起になるだろうか。
きっと空気の匂いが変わっても、それに気づかずに生活をし続ける。こんなことにかかずらっている時間がないほど、人類は多忙を極めている。
とはいえ、地球で生きることは酸化することで、劣化に向かっていくことらしい。
できれば私は老けたくないし、死ぬなら綺麗なままがいいけれど、生きるためには呼吸しなきゃいけないというのはなんというジレンマ。
肺と肺胞と毛細血管のめまぐるしい働きで、体中の細胞が毎日酸素を取り入れて、先へ先へと進んでいく。
全身の余剰に錆が溜まって、私は身動き取れないのに、細胞はなにを急いでいるんだろう。
眠らない無数の器官をなだめるように、ふかく息を吸って、たっぷり 20 秒かけて息を吐く。
横隔膜の緩慢な動きは、深夜の交差点の人波のよう。
寄せては返し、寄せて返し、すべてを正しい場所に収めていく。
必要最低限の、しかしひとつひとつ重要な呼吸を重ねて、正しく劣化へと進んでいく。
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5/21 文学フリマ東京36で頒布する随筆集『のびる / のばす』に収録されています。
「身体」についての随筆集です。
https://c.bunfree.net/p/tokyo36/28920
ぜひに。
七緒らいせ
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