たぶん自分もアダルトチルドレンです
今回の話は暗いです。飄々とした自分でいたいけれど、「こんなことあっても、こうなれるんですよ」と誰かの支えになれば良いなという気持ちで書きます。
たまたまKindle Unlimitedで、加藤諦三さんの本を読みました。久しぶりに心理学に触れようと思った、そんな理由で手に取ったら、アダルトチルドレンについて書かれていました。後で知ったのだけれど、加藤諦三さんはアダルトチルドレン関連の権威らしいです。
内容は、鋭利な刃物をグサグサと刺してくるような、手加減のない文章で、自分がアダルトチルドレンであることを自覚・自認させようとしてきている感じでした。けれど、そこには愛ゆえの必要性からだとわかりました。加藤さんもアダルトチルドレンだったようで、相当苦しんだご様子。アダルトチルドレンの人は、自分がアダルトチルドレンであることを、機能不全の家庭の影響で、受け止めることにかなり抵抗するから、手加減なしで突き付けてくる文体を選んだのでしょう。
ここでは、アダルトチルドレンについての詳細は他所に委ねます。個人的な認識としては、「機能不全な家庭で、親の顔色を伺ったりしなければ生きていけない環境で育ち、無条件な肯定の愛を受けずに育った人」と把握していて、これを例えるなら、「大事なパーツが一つ足りない状態で車道に放り出された車」です。車はアダルトチルドレンの人のことで、足りない大事なパーツは、無条件で肯定的な愛を受ける経験です。
ここから、個人的なことを少し話します。全てを話すのは嫌なので、少しです。
母子家庭でした。親は生活力もなく、陳腐とも思える自殺未遂を小学生のときから、何度も何度も止めてました。
一番不味かった食事は、母子寮が提携している幼稚園の残飯でした。離乳食みたいで、当時は母子寮の職員に、「ほれ、ありがたがれ」とでも渡された感覚でした。あまりにも不味すぎたので、簡単な自炊は子供のときからしてました。
母親の口癖は「出ていけ」、「親は子を選べない」、「社会はこんなもんじゃない」
よく包丁突き付けられました。
もっと遡れば、人生初めての記憶は赤ん坊の頃です。父と母が口論し、怒った父が母親に包丁を振り下ろそうとし、赤子ながらにこれはやばいと察して、泣いて止めました。今となっては僕をあやしに来てくれたのは父だったとわかるのですが、母子家庭で母からの洗脳めいた父への悪口から、長い間、あやしに来てくれたのは母だと記憶を改竄してました。
んー、文章にして読み返すと、かなりエグいですね。でも、エグいと認めることすら、最近までできていませんでした。それだけ否認・記憶の改竄・乖離をして過ごしてきたんだな、と。そんな過去の自分に、よく頑張ったよ、と言えるようになったのは、加藤諦三さんの本が激しく心の奥にある堅牢なドアをこじ開けてくれたからです。
数年前に、親には一方的に絶縁を告げました。今は全く知りません。もし関わって来たら? 跳ね返します。
実は過去に、絶縁後に家を探し当てて手紙を放って来てたんですが、読まずに破棄しました。このときに、親権を行使することによって、連絡取れない子供の住所を勝手に知ることができるという、奇妙な制度を知りました。これ、性的虐待とかを言えずに逃げた子供だったら、洒落にならないのではないかと。
そんな感じでいたので、まあ、アダルトチルドレンの方々に共通する一種の過敏性は、僕にもあります。これ、執筆に役立つからまだいいけど、実生活では相当面倒なんですよね。いまだに、「親孝行」とか言うワードには馴染めません。
ただですね、一つだけ言えることはあります。
親だろうが他人です。他人という言葉に抵抗があるなら『他者』です。知り合った他者と必ずしもずっと共に過ごす必要はないです。親は他人なので、縁を切っても、逃げても、離れてもいいのです。
昔書いた『集落街』という小説の一説に、「下手な血縁は面倒」というのがありますが、あの時から心のどこかでは自覚していたのでしょうね。それを明確に「ホンマせやな」と人生に活用できるようになったのは、十年以上かかってますが。
まあ、時間はかかったけれど、縛られてた、と気づけたのはデカいです。なぜかわからずに苦しいよりも、苦しい理由がわかると対策が取れますから。
アダルトチルドレンは、身の安全欲求が揺らぐ中で子供時代を過ごしていたと仮定するならば、シンプルにそこから離れたら次の欲求に行けます。そして、その経験は、「繊細さ」「敏感さ」として発揮されることがあるのです。これを、自分に合った形で使えるようになるといいですよね。
僕もまだまだ使い方が不慣れですが、少しずつ自分のしたいことをしていくことを、自分の気持ちを大事にすることを、これからもしていきたいと思います。
だからこれを読んでくれているあなたも、あなたの人生を生きてください。あなたがアダルトチルドレンであろうとなかろうと。そして、あなたを傷つけようとする他人からは距離を置いて、あなたを大事に思ってくれる人を愛してください。そして何より、あなたの人生で一番大切なあなたを愛してあげてください。優しく包んであげてください。最愛の人にしたいようなことを、最愛のあなたにしてあげてください。いきなりは難しくても、「そうしよう」と少しでも思えたら、勝ちです。どんなにクソな過去の経験でも、あなたはそれを糧にできました。それは、本当に凄いことです。
最後までお読みくださりありがとうございました。どうか、あなたに何かしら良い影響があれば、この文章を身を削って書いて良かったと心から思えます。
そして、さらけ出した自分に、「やるやないけ」とちょいと肘でつついときます。