子どもってすごい
私は授業中の立ち歩きはあまり気にしない。でも注意をする時は必ずきちんと理由を伝えて丁寧にお願いをする様にしている。命令ではない。
「クラスでは、見たい人が見られて聞きたい人が聞けるようにしてくださいね」
それがお願い。立ち歩きはOK。でももし誰かの前に立ちはだかってしまって見えなかったら、理由を言って気をつけてもらう。人の話にかぶってしまったら、ちょっと聞かせてほしいと頼む。大声でドッキリしたら、申し訳ないけど、先生は突然大きな音が出るのがとても苦手です、と伝える。
これで大体大丈夫。
あるクラスで授業中私の隣に立っている子に対して、「それはいけないことだ」と注意する子がいた。私は両者のことも気にせずに話を続けた。注意する子がエスカレートしてくると、他の子が
「先生が気にしてないんやけん、いいと」
(先生が気にしてないから大丈夫だよ)
と言った。注意する子が理由を聞くとなぜか今度は他の子たちが一斉に
「優しいけんよ!」
(優しいからよ)
と言った。注意していた子もそれ以上は何も言わなくなったし、立っていた子も飽きて自分の席に戻った。
私は何も言っていないけれど。子どもたちの解釈が見えて面白かった。優しいんかな。子どもにとってこういうのは「優しく」見えるんかな。私はただ何も気にしなかっただけ。
時々手取り足取り教える人は優しくて、自分は結構冷たいな、と思う。でも、同時に手取り足取りすることの先を知ってるから自分には出来ないとも思う。
それが自分の思う優しさかも。もし生徒がそこまでわかっていてくれたのなら、すごいと思うけれど。でも子どもってすごいからやっぱりわかってくれてたのかもね。
やっぱり子どもたち、すごいや。
*文中の博多弁の訳は多分こういう感じだろう、という私の超訳です。「〜けんよ!」というのは、結構人を強めに諫めるニュアンスだったように思います。その確信を持った強さで普段おとなしめの子たちが同時に言ったことが結構私には響いたので。そのままの空気感が伝わりやすい様に、その時に実際子どもたちが使った博多弁で書いています。
注意する子は、きっと大人がそれを欲していると先読みして注意してくれるのだと思いますので、それもその子の思いやり。通常の大人はこうだよね、という価値観の元の行動だったと思いますが。他の子がかなり強めに私の想いを(勝手に)語ったということに、なにか不思議なものを感じました。