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(3)ないことにしていた苦難



(前話はこちら⇒(2)すべてが変わった日


今回の投稿は、病の症状など、一部不快感を感じそうな内容のため、閲覧にはご注意ください。
m(_ _)m



日本に帰ってからが、本当の試練の始まりでした。

潰瘍性大腸炎という病気は、本当に生活に支障をきたします。

とにかくお腹の調子が悪くなる病気なのですが、活性化すると、健康な人が経験するふつうの腹痛とは比較になりません。

次の駅までなかなか止まらない急行電車に乗っているとき、運悪くお腹を壊した経験はないでしょうか? 

トイレに行きたくてもいけない。

お腹の痛みには波があって、その波がピークに高まってくると、変な汗がでてくる。

波が収まってくると、ほっとする。

そういうのが、次の駅まで何度も襲ってくる。

あの通称「急行電車お腹イタ」状態が、そのときだけでなく、より頻繁になり、いろいろな場面でやってきます。

これがこの病気のやっかいなところです。

この病気が活性化しているときは、車や電車などの移動時も、お客さんと打ち合わせ中も、仕事仲間とのランチ中も、常にこの恐怖に脅かされることになります。

お手洗いに行ったすぐあとに、またすぐ行きたくなったり、このタイミングで行くか?というタイミングでもおかまいなしに行きたくなってしまったり。

会社の人達とランチに行くと、そういう不安があるので、適当な理由をつけてよく一人で行きました。

ほんとうの理由を言ってないので、なかには協調性のない奴だと思っていた人がいるかもしれません。

症状がひどい時はまともに仕事ができないため、朝食も、昼食も抜いて、夜一食だけにして、なんとかしのぎました。


病気になる前は、74,5kgを下回るのが難しかった体重がみるみる減っていき、60kg前後のがりがりになってしまいました。この病気は消化吸収も悪くなり、体重がなかなか増えません。

大きな病院を探し、薬ももらって飲んでいましたが、多少ましになる程度で、あまり効果を感じませんでした。

そんな状態が続いたある日、通常の薬に加え、ある薬が処方されました。

自己免疫力を下げる薬です。

何気なく受け取った薬でしたが、、

これとアトピーとの組み合わせが最悪でした。

これまで塗り薬で抑まっていたアトピーの症状がまったく抑えられなくなったのです。

アトピーの塗り薬は、一日でも塗らないとかなり悪化するほど、アトピー患者には欠かせないものです。

その薬が効かなくなるとはどういうことか?

炎症で肌が簡単にかき崩れるようになり、剥がれていく、そういうのが全身に広がっているので、痛いし、痒いし、なにより不快感が半端ではありませんでした。

痛さを伴う痒みというのは、ただ痒いのと違って、我慢できないほどの強烈な不快感があります。

服を着ると、露出した皮膚に生地があたるので、それがまた痛いし、痒いし、気持ち悪い。

風が吹くだけでも、スーツを通り抜けてきて、それがものすごくしみる。

関節を動かすと、ガサガサになった皮膚が引きのばされるのが痛すぎて、歩くのもままならなくなってしまいました。

あのときは、なんかもうゾンビみたいだなって感じました。

歩き方も見た目も。

健康な時は、お風呂が好きで、気持ちよくゆったりとくつろげたのに、この時はお湯がしみて、痛くて、痒くてたまらない。

あまりに痒いと人間は、頭が真っ白になり意識が飛びそうになるのだなということを知りました。

お風呂から出て、布団に入ると、今度は服や布団に、ボロボロになった肌があたり、これがまた堪らない。

昼間は忙しさに多少まぎれるものの、寝るときは副交感神経が優位になるからか、痛さや痒さに対する感度が大きくなっていたのでしょう。

当然眠れるわけがなく、何時間も不快感にうなされながら、朝4時、5時頃、空が白みがかってくるころにようやく意識が落ちる。

そしてその数時間後には、目ざましに起こされ、出社する。

意識がもうろうとした中起き上がり、這いつくばって出社していました。

仕事中は、睡眠不足と気が遠くなりそうな痒みで、集中することができず、ミスを連発してしまいました。

睡眠不足が何日も重なっているので、定時まで居眠りせずに仕事をするだけでも、本当に至難の業でした。

30代半ばで世間では働き盛りの年齢です。まかされる仕事量も多く、仕事を納期内に処理できなくなり、未処理の仕事でどんどんあふれてしまいました。

「どうなってるんですか!? 」

「今日中に回答もらわないと困るよ。」

「もっとできるだろ!」

いろんなところからクレームがきました。

くそっ、健康だったらこんなミスなんてしないのに、いくらでも残業してリカバリーできるのに、身体が全然いうことを聞いてくれない。

「なんなんだこの身体は、ポンコツが!」

気持ちについてこれない身体が恨めしく、情けなく、自分を責めました。

頑張ろうとしても、頑張れない状況にいらだち、方々からくるクレームに、もうどうすりゃいいんだよってやけくそになり、逆切れしてしまうこともありました。人間関係も悪化させてしまいました。

そして、家までヘロヘロになってたどり着き、また地獄のお風呂→地獄の就寝時間→寝不足と痒みの中の仕事というループで、四六時中逃げ場がありませんでした。

この状態に、潰瘍性大腸炎が並行して存在し、朝昼飯抜きの空腹感も加わり、ひもじい、痛い、眠いで、ドリフコントの最後のように、しっちゃかめっちゃか、散々な状態でした。

そういう状況が、いつ終わるともなく延々と続きました。

実際どれくらいの期間だったかは覚えていません。数ヶ月とも数年とも感じるし、終わりがみえない感覚だけは覚えています。

もし健康なときに、一日でもこういう身体の状態になったら、間違いなく休むでしょう。そこには数日で良くなるという前提があるから。

でも、僕の場合は、一日ではなく、長期間続くもの、明日、明後日、1週間後に治るものではない、だから休むわけにはいかなかった。

一日でも休んだら、もう2度と立ち上がれないような予感もあったので、どれだけひどくても這いながら仕事に行っていました。

首から下のスーツ中の身体は、ボロボロで痒くてたまらなかったけど、会社仲間やお客さんに会う時は、笑顔で接しました。悲痛な顔でお客さんに会えないから。

ただもともと明るくて楽観的だった心も、この時ばかりは、相当病んでいたと思います。

心の中は、かなりささくれだっていました。

食べれない、眠れない、恋愛なんて夢のまた夢、望みがことごとく封鎖され、なんの希望も見い出せませんでした。

それどころか、
一日をただ過ごすことが、こんなに辛いなんて。

「なんなんだ、この人生は...」

「終わってる。」

自分の人生を呪いたくなりました。

こんなんがずっと続くのなら、「早送りでもなんでもいいから、人生もう早く終わってくれないかな。」って自暴自棄な気持ちにもなりました。

ただ死にたいという発想はなかったと思います。

死ぬのはやっぱり怖いし、親が悲しむだろうから。

その代わり、「消えたい。」という思い。

「誰にも知られることなく、そもそも存在すらなかったことにして、消えられないかな…」

思いたくないけど、そういう思いが湧いてきました。

町に出ると、家族やカップルで歩いている幸せそうな人たちが目に入り、すごい嫌悪感を感じました。

ごく普通の人間が、ごく普通に享受できる幸せの世界から、自分だけ疎外されたような感覚。

世界そのものにあざわられているような、見捨てられたような感覚。

もう世界ごと全部消えたらいい。

ものすごくブラックな感情も湧いてきました。

「悔いのない人生を送りたい。」

いつもそれを大事にして生きてきたのに、真逆の毎日にほとほと疲れ果てていました。


これらは2008年〜2012年くらいの間のどこかの時間だったと思います。

記憶に暗いベールがかかったように、いつだったか、どれくらいだったかの時間感覚がありませんが、自尊心を叩きのめされ、ことごとく本心を封鎖され、なんの希望もみえなくなった体験です。

一番ひどかった時のことを書きましたが、少しずつマシになってきたとはいえ、今も影響が全くなくなったわけではありません。

これからの課題でもあります。




あー、しんどかった。

ひどすぎてなかったことにした過去を掘り起こすのは、なかなかにしんどい作業でした。

振り返ってみると、人生にはどうしようもないときがあるなあと。

ただ生き延びるだけで精一杯のときが。


カフェで途中まで書いて、車で家に帰る途中、なんか泣けてきました。

申し訳なかったなあって…

一番味方になってあげなければいけないときに、責めてしまっていた。


ごめん、自分。

そんな気持ちになって、涙が流れてきました。

P.S.
フタをしていた過去を掘り返したら、いろいろな感情が湧いてきました。

まだ人生に対する恨み辛みの感情が残っていたようです。

だいぶアソシエイトして書いてしまいました、汗

これが書いた時点での、ありのままの自分ですので、あえて(少しの間)残しておきたいと思います。

読まれた方しんどかったと思います。ご容赦くださいませ。m(_ _)m

これから自心と丁寧に向き合っていきたいと思います。そして、頃合いをみて、書き直します。

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