続けていくと誰かに見守られるようになる
こんにちは。波希です。
先日、近所の公園をお散歩していたら、見知らぬお爺さんに話しかけられました。
いきなりのことでびっくりしましたが、お爺さんは「前によく走ってるところ見かけててさ。最近は走ってるの見なかったから。元気?」とのこと。
私にはランニングの習慣があり、休みの日にはよく公園を走っていました。今年は猛暑のため、夏の間は中止にしていたのですが、誰かに認識をされていたとは思わず、驚きました。
今回は「続けていけば誰かがひっそりと見守ってくれている」ことについてお話しします。
1.私のゆるいランニング習慣
先述した通り、私はランニングをする習慣があります。ただ、習慣があるといっても「毎日◯Kmかならず走る!」というガチガチの取り組みではなく、休みの日、天気がよければ軽くジョギングをする、といったとってもゆる〜いもの。
走るのも主に春と秋の間だけ。
夏は暑さが半端ではないですし、冬は雪の場合もあるのでウォーキングにチェンジしています。
こんなゆる〜い習慣ですが、このランニング/ウォーキングの習慣は10代後半から始めたので、おそらく10年以上続いている習慣です。
正確な年数は分かりませんが、ずいぶん長く続けていたんだな〜と改めて思いました。
2. 心地よさを優先したから続いた
なぜ私がこの習慣を続けられたか?といえば、それは「自分の心地よさを優先したから」。
もともとのんびり外を散歩するのも好きですし、体を動かすとスッキリできて心地いいな〜と感じていました。
だけど、これがもし「毎日必ず走る」や「月に◯Km走る」などの設定をしていたらきっと続かず挫折していたと思うんです。
なにか「習慣化」する時、二つパターンがあると思っていて。
一つ目は「明確な数字の目標がなく、ただ"続けること"や"楽しむこと"が目的の習慣」
二つ目は「明確な達成したい目標があり、到達するためにコツコツ毎日実行する習慣」
私のジョギング/ウォーキングは一つ目。
気楽に始めたからいつでも辞めていいし、いつでも再開していい。
この気持ちが根底にあったからここまで続けてこれたのかな?といまは思います。
3.続けていけば誰かの目に留まる
習慣化、というと毎日コツコツ、一日も休まず……という印象がありますよね。
毎日実行できることは本当にすごいことですし、目標があるなら毎日やった方がいい。その方が達成率も上がるし、成果が出るスピードもきっと早い。
けど、注意したいのは、いつの間にか毎日実行することが目的になってしまって、知らずに自分を追い詰めてしまうこと。
もし、習慣化したいのに出来ない!と思っている人がいたら。その人が「出来ない」を理由に自分を責めてしまっていたら、
「自分を追い詰めず、ゆるく、楽しく、続けられる範囲はどのくらいですか?」
と自分に問いかけてみてほしいです。
なにかをする時、自分が「楽しく、続けられる」範囲は人それぞれ。
続けていくために実行する「量と質」は、自分の状況に合わせていくらでも変えていいんです。
はじめは明確な目標がなくても、あとから目標設定をつけていいですし、やってみて、目標が変わっていくのは自然のこと。
大事なのは完全に辞めないこと。
ゆるいジョギング習慣でも、誰かがひっそりと私を見守ってくれたように。
一人でほそぼそとこうして書いたnoteにも、読んでくれる誰かがいて、いいねを押してくれるように。
続けていたら、ひっそりと、けど応援してくれる人は現れる。
以上が、「続けていけば誰かがひっそりと見守ってくれている」ことについてお話しでした。
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