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『宇治拾遺物語』絵仏師良秀01(ゆるい解説 & 雑記)

 高校の教科書で読んだことがある人もいることでしょう。
 鎌倉時代前期の『宇治拾遺物語』に載っているこの「絵仏師良秀」は、いわゆる芸術至上主義を体現した話として有名です。かの芥川龍之介が小説『地獄変』のモチーフにしたことでも知られています。ちなみに『地獄変』というタイトルは、「地獄変相図」の略語です。地獄の様子を書いた屏風絵のこと
 さらには後年、この芥川の『地獄変』をモチーフにした歌舞伎が、三島由紀夫によってつくられました。

 ちなみに、この「良秀」を「リョウシュウ」と読むのか「よしひで」と読むのかで少しもめることがあるようです。お坊さんの名前はだいたい音読み(海外から伝わったためしょうか?)なので、音読みの「リョウシュウ」が優勢です。兼好法師だって「ケンコウ」と読みます。俗名が「かねよし」なんですよね。
 しかしながら、良秀はお坊さんなのに子供を持った妻帯者なので、もともとちょっと変わったお坊さんだったのかもしれません。


 以下、多少のネタバレを含みます。

 元ネタの「絵仏師良秀」よりも、芥川龍之介の『地獄変』のほうがタチが悪いなとは個人的には思っています。元ネタの方は隣家から燃え移ってきたわけで、これは事故です。そのもらい火が、良秀のクレイジーな芸術魂に火をつけ、煽ってしまう
 ところが芥川の方は、その屏風絵の依頼主の殿様の差し金で、自身の娘を牛車に乗せたまま火で焼くことになってしまいます。こっちは人為的クレイジー。
 どちらも共通してクレイジーなのは、その火事を見て、良秀は極めて落ち着いているのです。もっとも内面では「これが本当の炎のねじれ具合なのか」と、自身の絵に生かせる興奮を感じていたかもしれませんが。

 なんでそんなことになったかと言えば、良秀は「見たものしか書けない」からです。そのため芥川版の『地獄変』では「地獄の責め苦を再現するために、絵の弟子に犠牲になってもらう」というかなりヘビーなエピソードが加わります。


 この場合の「見る」は、まさしく「百聞は一見に如かず」のときの「経験する」という意味なのでしょう。
 昔テレビ(『徹子の部屋』のゲストだったか?)に出ていた某女優さんの言ですが、殺人者の役でオファーが来た。ところがもちろん人を殺したことなんかない。さっそく肉屋に電話して、墓石大のバカでっかい豚肉を大枚はたいて購入し、自宅の天井から荒縄でぶらんと吊るしたそうです。台所から包丁を取ってきて、何度も刺す訓練をしたとのこと。

「ああ、これが生肉を刺す刃物の重みなのね」と。

 この女優さんが誰であったかは失念(←お、たまたま起源は仏教用語です)したのですが、舞台芸術にかける熱い女優魂を感じました。
そして「まだマシな良秀」は今もそこかしこにいるんだろうな、とも。

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