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双子の元 Jリーガー森﨑兄弟の「うつ白」を読みました。

こんにちは、なみへいです。

私もうつ病で苦しんでいた時期もあり、うつ病の関連本は多く読んできました。
しかし、今回読んだ「うつ白 そんな自分も好きになる」では同じチームにおいてのアスリート、そして双子という特殊な環境においての壮絶なうつ病闘病記は他の著書にはない事例も多く、私自身も読みながら同調してしまい少々辛くなるような読書でした。

あまりネガティブなことは書きたくないのですが、双子で同じような身体的症状(目がおかしくなる)が出ているところをみるとうつ病は遺伝的な要素も多少関連してくると感じました。また、小学生からずっと同じスポーツ、同じチームでプロとしてやってきたことはお互いに強く意識してしまい、双子の一方のうつ症状が良くなれば、片一方はうつ症状が悪くなるというシーソーのような状況になってしまうことは私が想像するに自明の理であったような気がします。

しかし、森﨑兄弟は非常に幸運であったと思います。
見捨てずサポートしてくれたサンフレッチェ広島というクラブ、そしてミシャや森保という理解があり懐の深い監督。
そして何よりも奥様たちの献身的な支えがあったこと。
通常の社会生活も送れない時期もあった中、周りのサポートにより二人とも35歳以上になっても現役を続けられ、3度のリーグ優勝を成し遂げられたことは奇跡としかいいようがありません。

私は特に兄の和幸さんのプレーが好きでした。
和幸さんはフィジカル的にそんなに大きくない選手でしたが3バックの真ん中やボランチで非常にスマートで気が利くプレーができ、ゲームを作っていけるような選手でした。
イメージとしては長谷部選手のプレースタイルに近いような気がします。
長谷部選手よりタフネスさはないけど、長谷部選手をよりテクニカルしたような選手だったように思います。

弟の浩司さんの地獄の日々を綴った章では先ほど書いたように、私も地獄の日々を思い出させられ、読んでいて苦しくなりました。
あの地獄の日々はうつになった人でしか分かり得ないものです。
暗がりで横になり続け、グルグルととりとめない思考の渦に呑み込まれ、まさに死んだほうがましと思ってしまうのです。

私の経験や知識において言えることは「うつ病は心の風邪」ではなく「心のガン」と言っていいように思います。
一時的に良くなってもいつ襲ってくるかわからないものであり、一生涯付き合っていかなければならない病気だと思っています。

森﨑兄弟は現役中はうつ病であることを公表せず、オーバートレーニング症候群や慢性疲労症候群といった用語でうつ病を明言することから避けてきました。
自分の病いを隠すことは、自分自身を否定し本当の意味で自分の心と向き合っていないのです。
現役時代うつ病が繰り返してしまったのもその辺りにも原因があったのではないでしょうか。
引退しこの本でうつ病をカミングアウトすることで、お二人にとっての完全なる回復へのスタートであり、第二の人生を生きていける大事な著書となったことでしょう。

実際にアスリートだけでなく、一般の人でさえもうつ病を公表するには相当な覚悟がいります。
日本はうつ病患者数506万人とされており世界でワースト2位、自殺率はOECD平均の10万人あたり12.4人の倍近い20.9人と異常な状態が続いているこの国でどうしてうつ病への認知や寛容さがないのでしょうか?

「大企業の8割に『メンタル不調』の従業員 理由の過半数は『本人の性格』」という結果が報じられたことがある(平成23年労働災害防止対策等重点調査)。

まさに、メンタル不調になった原因を、「本人の性格の問題」と、堂々と回答する人が6割強も存在しているという現実は、「ウツになるのは、自己責任」と考える人が多く、それがうつ病を公表し難くなっている要因だと思います。

会社でもTV報道でも「自己責任至上主義」がこの国には蔓延しています。
と言う私もうつ病になる前は、メンタルが弱いことは自分のせいだと考えていたふしがあります。

私は人生の至るところで環境変化や職場の人間関係、老いや病気や死の問題などでうつ病になる要素は誰にでもあると思います。
誰だって、いつ、なんどき、どうにもならない状況になるかもしれないのです。

ストレスは人生の雨だと例えられます。

井上陽水がその昔「傘がない」を歌った当時でも、こうした「なんとかしようという自分の気持ちはあるのに、誰も助けてはくれない」という閉塞感のある不寛容な世の中であったと思います。
この歌の1970年代から日本はそんなに変わってないのです。

森﨑兄弟は森保監督や奥様などから傘を借り、時には一緒に傘に入ってもらい助けてもらいました。

一度でもうつ病になった人は傘を貸すことができる人だと私は信じています。

この「うつ白」を読んだ人が、困っている人がいれば傘を差し出してくれるような行動をとってくれて、それが普通な状況になってくれれば本当の和を以って貴しの日本になっていけると思います。

私はどうも最近の日本人は「情けは人の為ならず」を誤用していて、「人に情けをかけることはその人の為にならない」と間違えた意味で捉えてないでしょうか?

「情けは人の為ならず」とは 「人に情けをかけると巡り巡って自分に良いことが返ってくる」

ほんの少しでも他者の気持ちに寄り添えて優しい気持ちで接してみれば、この不寛容な世の中を変えていけるかもしれません。




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