「過去」を受け止めて、「今」を生きて、「未来」を変える。
私がおそらく双極性障害になったきっかけがある。
ここでカミングアウトするつもりはないけれど、突拍子もないことをやってのけた。それは社会的に受け入れられないことであり、いや、もしかしたら「文化」として歴史に残るようなものなのかもしれない。
私は都会の片隅で自分を曝け出して生活していた。
まったく平気だった。むしろすべてを見せることに快感を覚えた。躁の始まりだった。まとも?な人たちは、私に冷ややかな視線をおくっていたに違いない。
なんだってやって見せた自分に私は酔っていた。
それが私にとって汚点となっているのかはわからない。遠い昔のことでもだ。今でもわからない。
ただ言えることは、遠い昔のことが、段々と後悔へと引きずり込まれてきているように思えてならない。もっと違う道があったんじゃないかって。
でも、この躁うつになったきっかけとなった過去をいまは受け入れている。
受け入れているから、「今」を生きる。
私は何者ではなかった。都会を闊歩していた自分は今は障害者となって生きている。
障害者である自分をやはり曝け出して生きている。
隠れもしない。でも一生懸命でもなく、自適に。
でも、私には夢がある。
そうやっていまは未来を見据え、願う自分は自分を信じることで夢見る景色(時代)を見ることが出来るんじゃないかな。
こんな文章を書いたけど、自分のことに当てはめて考えてみてもらえたら嬉しい。
「過去」「今」そして「未来」を。