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イビツな母子関係 苦くもあり愛しくもあり

見えてきた母子関係


母は、「私は弱いです」と見せかけて人と人との間に入り込みます。
入り込んだ後は、人と人とを競わせます。

母は、人を試します。
そうやって人が自分にとってどのくらい安全か、また役に立つのかを測ります。

母はもう80歳を超えた老人です。
しかし、その生き方は、変わることがありません。

NAMIDAサポート協会カウンセラー
心の伴走者ノゾムです。

私は、生きづらさを引きずって長いこと生きました。

そして、やっと自分と向き合い、
自分の生きづらさの原因がわかり、

その原因の出来事、によって心に刻んでしまった思い込み、がわかり、

その思い込みによって、どんなネガティブな感情を、繰り返し繰り返し感じながら生きて来たのかが、解りました。

私の遅ればせながらの自己理解でした。

自分のことがわかり始めると、同時に他人のことが、随分とよく見える様になってきました。

よく見える、と言いましても、これまでが目隠しをしているぐらい自分のことも、他人のことも見えていなかったので、その頃からすると…と言うことです。

今回は、私の母のお話しです。

いつもなら、たとえば、
感情の境界線なら感情の境界線の、
機能不全家庭なら機能不全家庭の、
お題目に沿ったお話しをさせて頂くのですが、
今回に限っては、母のパーソナリティが中心になります。

生きづらさの原因


私の生きづらさの原因は、私が生まれ育った環境、機能不全家庭に有りました。

中でも、幼少期には、最も影響が強かったであろう 母 について、
そして、自分と向き合う と言うことについて、お話しさせて下さい。

私は曲がりなりにも、自分と向き合うことによって母が見える様になり、
母は今日まで、決して自分と向き合うことなく、生きて、そして老いました。

母のことが見えるようになってしまった息子にとっては、以前と変わらない生き方をして、以前と変わらない心理ゲームの様なことに浸り込んでいる母親が、哀れでもあり、

自分と向き合うことに背を向けると、どうなるのか、と言うことが、わかり過ぎるぐらいわかりました。

母が選んだ人生に私が判定を下すつもりは、ありませんし、私の生きづらさの原因であることを、責めたいと言う気持ちは、もうありません。


母のパーソナリティ


母は人と人の間に入って、こちらと居るときはこちらに、
あちらと居るときはあちらに、良い顔をします。
時に焚き付ける様なことを言い、時に告げ口の様なことを言い、
自分と相手は仲間であると言うことを、思い込ませます。
そうやって、母は自分だけが双方にとって、いい人になる様な状況を作り出します。

そんなことを、繰り返す対人関係なので、常に不愉快な空気が漂う付き合いになり、小競り合いが常の付き合いになり、
長く安定した人間関係にはなりません。

母は、家庭内に於いても、同じ立ち回りをします。
母は私と父に対しても、競わせ、自分だけが味方であると双方に思わせることに、全精力を注ぎ込んでいました。

父が私につらく当たるのも、母の心理ゲームに父も私も知らないうちに参加させられていたんだと、近年やっとわかりました。

父も過酷な幼少期を過ごした人で、心理的には成熟とはほど遠い人だったので、母にとっては、子供2人を手玉にとる様な気分だったのではないか、と思います。

家の空気は重たく、私は自分の感情などには興味が無く、ひたすら、いつも不機嫌な父と、気分が目まぐるしく変わる母の、好みの子供であり続けること、に全力を注ぐ様な毎日でした。

母は自分で責任を負うことが出来ない人です。
直ぐに責任を負わせることが出来る弱者を探し、その弱者を悪者に仕立て上げます。
いつも被害を被ったと主張します。

本来、生きるには、責任から逃れる術はありません。

責任を負わずに生きる方法が有るとするならば、反抗しない弱者に責任を負わせるしか無い様に思います。

家庭内に於ける弱者は子供です。

母は自分の荷物はすべて子供に背負わせました。
私の生きづらさは母からもらった荷物。

今、何十年も経って、ようやく母の姿が見えるようになった私には、

未だに、
誰かと競わせようとする母が、
未だに、
自分への忠誠を試そうとする母が、

只々、哀れに思えています。


母には芯がありません。
母には強さがありません。
母には優しさがありません。
母には自分がありません。

おそらく、祖父から、祖母から、幼い心を砕かれる様な育て方をされたのだと思います。

母はその祖父と祖母を「優しかった」と言います。
そして自分を「愛情深い」と言います。

母は そう選んだ のですから、これが母の生き方なんだと思います。

苦い思い


もしも、母が違う生き方を選ぶとしたら、

真っ先に求められるのは、幼い頃に心を砕かれた事実と向き合うこと。

「優しい両親に育てられた愛情深い私」というファンタジーを死にものぐるいで、かなぐり捨てることが必要です。

母はそれを選ぶこと無く、反抗しない我が子に重たい荷物をすべて背負わせることを選びました。

私は幼少期の事実を正面から見つめました。
だから、母親の本当の姿を見ることになりました。

どちらを選んでも良いも悪いも無いけれど、
私は霧の中に居るような、不確かな自分のまま生きたくはない、終焉を迎えたく無い、と思い、そう選んだ だけです。

母は、若い頃のように、くるくる とは、回らなくなった思考をフル回転させて、従兄弟と私を競わせようとしたり、私がどのくらい自分のことを思いやっているか、を試したり、相変わらず心理ゲームを持ちかけて来ます。

その目的はいつも 自分のこと だけです。

心の中の「確かな自分という意識」が育っていない母は、
自分が無いのに、自分にしがみつく そんな生き方に思えます。

責任を放棄した生き方をするには、他者を貶め、他者に荷物を背負わせるしか方法がありません。

幼い頃の事実をまるごと受け入れた今、私には母に対する 怒り や 恨み はありません。

しかし、その残骸のような 苦い思い は残ります。


ま、いいか


母は、未だに競わせるけれど、
母は、変わらず試すけれど、
救いは、おどけると愛嬌のある人なのです。

それと解って接すれば、
愛嬌だけにフォーカスすれば、
可愛らしい、おばあちゃんです。

ずいぶん小さくなりました。

気を許したら足もとをすくわれる、おかしな母子関係です。

母は変わることはなく、
私はずいぶん変わりました。

母は私のつけ入るスキを探し、
私は母の可愛らしい部分を探します。

母は そう選び
私は こう選びました。

どうやら最初から最後まで
望んだカタチにはならないけれど
そんな母と子のカタチも


ま、いいか、


と思えています。



苦々しくも愛おしい、イビツな母子の在り方です。

読んで頂いてありがとうございます。
感謝。

NAMIDAサポート協会カウンセラー
心の伴走者ノゾム





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