励ます人、責める人
これまでにも、幼少期に主たる養育者から肯定的に扱われる人と、否定的に扱われる人があり、その違いは余りにも大きいというお話しをしてきました。
その違いは、別の生き物である程の違いがあり、肯定的に育てられた人は否定的に育てられた人の事は理解出来ないし、逆に否定的に育てられた人は肯定的に育てられた人の事が理解出来ません。
違いは多岐に渡りますが、一言で言うならば、自分の存在に対する安心感をもっているか、否か、という事だと思います。
自分に有価値を感じているか、無価値を感じているか、ということです。
では、その子供に有価値を与える親はどんな親で、子供に無価値をすり込む親はどんな親なのでしょうか。
一言で言うと、有価値を与える親は「励ます人」です。
無価値をすり込む親は「責める人」です。
励ますことなど、どの親もあるだろうと思われますか?
私は親の何らかの思惑に沿って「おだてられ」た事はあっても、励まされたことはただの一度もありません。
どうやら、励ます、励まさずには居られない、という感情には、柔らかで暖かな「愛」が根底に流れている気がします。
「愛」を持たない人は励ますことは出来ません。
私の両親は無価値感に苛まれる人達でした。
信じられないと思いますが、通常当然「励ます」事が妥当と思われる場面で、両親は決まって先を争う様に、「ダメ出し」をしました。
「お前のここがなってない」
「これがお前の落ち度だね」
私はこの「お前の落ち度」と言う言葉が嫌いでした。
これ程、子供に無価値感を刷り込み、罪悪感を持たせる言葉も無いと思います。
励ますか、責めるか、
たったそれだけの違いが、その子の人生に余りにも大きな影響を持つのです。
励ます人には、根底に暖かな「愛」が流れています。
その子が、その子なりに頑張ったプロセスを大切に思います。
その頑張りが解るからこそ、励まさずには居られないのです。
私は思うのですが、世の中には、様々な暖かな物がありますが、
この「励まさずには居られない」という感情は本当に暖かいと思うのです。
残念ながら、私には励まされた経験はありません。
「お前の落ち度だ!」と糾弾され、吐き気をもよおした経験しか思い出せません。
そんな生い立ちであっても、
責められ続けて育った人でも、
励ます人には、なれるんじゃないか、と本気で思っています。
暖かなものは与えられなかったけれど、暖かなものを与えることの出来る人に近づきたいなぁ、と思います。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝。
NAMIDAサポート協会カウンセラー
伴走者ノゾム