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家族ってなに?  Vol.13 〜食卓?囲んだことない〜

私は物心ついた頃から家族揃ってご飯を食べた記憶がない。

運動会では祖父母と叔母。

祖父母の家では祖父母と。

店では姉と一緒にお弁当を広げて食べる。

家で食べることもごく稀にあったが、その時も両親とは別に食べていた。

幼稚園から低学年までは外食をすることもあったがその時は私、姉、母。

父はいない。

だから家族揃って今日の出来事を話して家族団欒でという記憶がない。

私と姉にとってはそれが当たり前になっていった。

(後に、自分のタイミングで食べるようになり家族で食べることも、姉と食べることさえも小学校3、4年にはなくなり家では一人でテレビを見ながら食べるのが当たり前になったいった。)

だから一人で食べるのが当たり前でないことはアニメで知った。

小学校では一人で食べていることを誰にも言えなかった。


両親はそのことに対してどう思っていたかは知らない。


でも、祖父母は昔ながらの考えということもありその現状に納得していなかった。

なぜ、子供たちだけで食べさせるのか。

可哀想だ。

そんな事を思っていたようだ。

だから。祖父母の家に行くと毎回ご飯はどうしてるのかしつこく聞かれた。(週に3回くらい行くのにも関わらず)

子供だったから純粋に答えていたら、祖母はその回答に毎回怪訝な表情をしていた。

そして母が迎えに来た時に文句を言っていた。

確かに祖母の言い分もわかる。

食事をしながらマナーを学び、コミュニケーションを学ぶ。そして、みんなで食べることによって得る幸せ。おいしさ。が一味も何味も違うことを教えたかったのだろう。

私はそれを味わえなかったから、人とおいしさを分かち合うことや同じ料理でも人と食べることで味が違うことを大人になった今でもよくわからない。

食事の時に談話することも未だに慣れない。

食事をすることを楽しいと思えるまでかなり時間を要している。

未だに、食事をする事=生きるためには必要だから食べる

というただのタスクとしか考えられないことの方が多い。

人と食べることが未だに苦痛ということの方が多い。

「嫌いな物も食べなさい」と言われたこともなく、だいたい同じものばかり食べていた為か偏食が未だに酷い。

嫌いなものや新しい食材の出会いは【給食】でしか出来なかった。

姉に関しても偏食が酷い。

さらに、箸の使い方が未だに出来ていない。

家族と食事を取ることがこんなにも重要だと思わなかった。

社会に出て人と食事をすることが多くなって思う。人と何かを共有することというのはとても重要で、共有するという行為の中で一番ハードルが低く行えるのが食事だ。

食事を共有し、おいしさを共有する。

会話を楽しみ、食事を楽しむ。

社会に出ていろんな人と食事することが増えたがその【共有する】ことが未だに不慣れで苦手だ。

食事を楽しむことが苦手だ。

食べることはタスクでしかないから、

「何が食べたい?」

「好きな食べ物は何?」


と聞かれることが本当に苦手だ。


だから、家族と食事ができないのであれば子ども食堂などのところでみんなで食べるという経験は本当に必要である。

テレビと会話しながら食べる食事より、人と顔を合わせて会話をしながら食べる方が心も体も充実する。


私はそれができなかった。

人と食べることをあまりにも早く終わらせてしまった。

それがこんなにも、大人になって大きな弊害になるとも知らずに。。。








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