Vol.20 少年革命家ゆたぼんに考える多様性のあり方
少年革命家ゆたぼんが中学に行かないそうだ。
それは別にどうでもいい。他人の子供がどんな馬鹿に育とうと私に興味はない。しかし、この写真を見てギョッとした。
明らかに面(ツラ)構えが変わってる。良い方向に、ではなくヤバイ方向にだ。メディアに出始めた頃のゆたぼんはまだ可愛いらしい少年だった(※記事の中に小学生の時のゆたぼんもリンクされているので見比べて欲しい)。子供の顔は成長と共にだいぶ変わるが面構えは変わらない。これは明らかに外部刺激(親)だ。荒んでいる。マトモな大人に育つ気がしない。
このような発言をすると
「じゃあマトモって何?」「普通って何?」
とツッコミが入るであろう。それがインターネット社会だ。
個人的には「なるべく人様に迷惑をかけずキチンと納税し社会的生活を送る」のがマトモな大人だと思っている。しかし世の中には働きたくても働けない人もいる訳で、人様の厄介にならなくては生きられない人もいる。その人たちを否定するつもりは全くない。実際うちの息子もまだ2歳でありながら発達障害という問題を抱え今後どうなるか分からない。まともに働けるのか? 人様に迷惑をかけず生きていけるのか? 謎である。
しかし私はなるべくそのようにならないよう教育をしているつもりだ。1歳台から「療育」に通わせているのもその一環である。小さなうちから集団に入れコミュニケーションを学び社会性を身につける。それが今できる唯一の教育だ。本来ならば「学校」がそのような場なのではないか?
私は今後、息子がもう少し成長し分別が付くようになったら「物事の善し悪し」も教えてゆくつもりである。少なくとも無人駅と知りながら車椅子で突入するような大人には育てない。
だが、この「物事の善し悪し」が現代社会の問題点になっている。いわゆる多様性というやつだ(注:ここでは年齢・価値観など広い意味での多様性という言葉を使わせて頂く)。
昔、特に日本人には日本人の共通認識があった。〝いや、それはダメじゃね?〟というのが概ね共通していたように思う。「道徳」「モラル」と言い換えて良い。もしかしたら〝別にダメじゃなくね?〟と思う人もいたかもしれないが、表面化されなかった。SNSが無かったからだ。せいぜい新聞に投稿するくらいが限度であった。しかし今は出来る。いつでも誰でも写真を撮り・動画を撮り、世界中に発信することが出来る。
それが悪いこととは言わない。現に私もSNSはフル活用している。特にTwitterを見ているとあ〜世の中にはこんな考え方をする人もいるんだな〜と非常に勉強になる。しかし私は言いたい。
「多様性を道具にしてないか?」と。
車椅子の彼女しかり、ゆたぼんの父親しかり・・・政治や金儲けのためにそれを利用してはいけない。弱者の皮をかぶった強者が生まれる。そしてマイノリティの声がマジョリティを潰した時、結果的に困るのはマジョリティではなくマイノリティ自身だ。
どうも上手く表現できずもどかしい。
しかし周囲の大人達によって作られであろう12歳のご面相を見「なんか可哀想だな」と思ったので書いてみた。
【猫ムスメより】
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