『人間はどこまで家畜か 現代人の精神構造』(著 熊代亨)【基礎教養部】[20250225]
熊代亨氏の「人間はどこまで家畜か ~現代人の制震構造~」という本について,皆と理解を深めるために取り扱った.今回題材本に選ばれたユーロップ氏(https://note.com/yourope)の記事は以下の通りである.
本書に触れてみた感じたこと,考えたこと,特に頭の中に浮かんできた内容について,駄文のように思うがままに記していきたいと思う.先ず,本書の紹介文「清潔な都市環境、健康と生産性の徹底した管理など、人間の「自己家畜化」を促す文化的な圧力がかつてなく強まる現代。だがそれは疎外をも生み出し、そのひずみはすでに「発達障害」や「社交不安症」といった形で表れている。この先に待つのはいかなる未来か?」というメッセージを読んで,非常に興味を持ったことが記憶の中にある.現代の社会構造が,精神病の強まりにいかにして貢献しているのか,ということが書かれてあるのだろうか?という感じで興味を持った.特に,「自己家畜化」とはなんだろうか?「家畜」「家畜化」という言葉は,自分ではなく,自分以外の対象を「家畜化」するという意味合いで用いられていることが多く,己を家畜化するとは,一体どういう意味だろうか?という点にも非常に興味を持った.己を家畜化(=誰かに管理をしてもらわないと生きていけないような状態?)ということ?とも考えた.そもそも,文化的な圧力がかつてなく強まる,というのは,これまでにもそのような文化があったということだろうが,それって例えば何を指しているのだろうか?その例として,「清潔な都市環境」や,「健康と生産性の徹底した管理」が抽象的に挙げられているけれども,確かに,「清潔な都市環境」に慣れてしまい,その環境がないと生きていけないような状態になってしまうことがあれば,それは管理された環境下でないと生きていけないから,「家畜化」だな,と.「健康と生産性の徹底した管理」については,「健康の管理」が,なぜ,「家畜化」につながるのかは,正直未だに分からない.一方で,「生産性の徹底した管理」が「家畜化」につながるという論調も,生産性を求めるあまり,まるで生産ラインのロボットのような(精神的な意味で)状態になることで,自分自身で,効率化以外の項目も含めた俯瞰的な目で最適な選択肢を考え判断する能力がなくなってしまう,という考えであるならば,それは確かに「家畜化」につながるな,と思った.けれども,未だに思うのが,それが「社交不安症」といった形で人間社会に現れるというのはなんとなくそんな気がしないでもない.現代は,多様な選択肢や情報で溢れている社会であると言える.そのような世の中において,自分自身で,効率化以外の項目も含めた俯瞰的な目で最適な選択肢を考え判断する能力がなくなってしまうことは,自分自身で常に判断をつけるということができないということを意味しており,それは不安耐性に欠ける,ということになるからなのではないかと考えたためである.一方で,「発達障害」という形で人間社会に現れるというのは,著者の言いたいこともわからないでもないが,それは発達障害の原因の本質からはズレていると考えている.そもそも「発達障害」とは,医学的には生まれつきのものであり,現代社会の下で受けた影響(=家畜化)ではないからである.しかし,先述の通り,著者が言いたいことも分からないでもない.家畜化により不安耐性がなくなった人間が,己の生きづらさを特定すべく,病院に足を運んで診察を受けたところ,医学的に「発達障害」と診断され,また,そのようなフローにより,「発達障害」と診断される人間の数が多く現れるようになったからである,と考えると納得がいくからである.「この先に待つのはいかなる未来か?」について,あくまで私見ではあるが,私は,そのような社会を受けれいていけるだけの不安耐性が今後は必要になっていくと考えている.そのような社会傾向をより増強するようなコンテンツで溢れるようになってきているからである.本書は,非常に考えさせられる内容となっている.本書を手に取る方々の健闘を祈ります.