![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/164372529/rectangle_large_type_2_5059d75d65088cb72ec3c0ab326d6263.jpeg?width=1200)
「胡散臭い」センサーが他言語になると働かなくなる件
夫の海外赴任が決まった。一緒に行くか日本に残りつつ行き来するかは自分の仕事の状況なんかも見て相談していくところだが、いずれにしても来春あたりから生活が大きく変わることになる。住むことにはならなくても、これを機に、自分も英語を話せるようになろうと思う。
英語学習の一環として、最近海外版のnoteともいわれる「Medium」で記事を読むようになった。Mediumは、個人や企業が自由に記事を投稿できるプラットフォームで、テーマごとに記事が分類されている点がnoteと似ている。
こちら▶︎ Medium: Read and write stories.
※実際に記事を読むにはアカウントが必要で、課金しないと最後まで読めない記事も多いです
私がフォローしているのは主に「Design」「UX」「Work」「Books」など、自分の仕事や興味に関連するテーマ。Web制作、コンテンツ制作、デザインなど、業界でホットなテーマは日本でも盛り上がっているテーマと似ている。
見栄えの美しさやアートに寄りすぎたデザインはユーザーを向いているのか?
デザインツール figma の躍進はすごいが、これは永遠に続くのか?代わるツールは出てくるのか?
コンテンツクリエイターの仕事の難度はここ数年で格段に上がった
などなど……。他にも、リモートワークで失われる視点(働き方)、ハイパフォーマーへのフィードバックで大切にすること(マネジメント)など、日本でもよく見かけるトピックが並んでおり、人々の関心事は似てるんだなと思った。
どうしても意味がわからない部分は翻訳に頼るが、意外と読めるもので、結構行けるやんと自信も湧いてくる。一方で、英語を理解することで手一杯の自分は、書いてあることをそのまま受け取りすぎて、日本語で記事を読む時には自然に行っている『情報の "咀嚼" フロー』をすっ飛ばしているな〜と気がついた。これは結構怖いことだ…!
![](https://assets.st-note.com/img/1732268568-05hat3Wb2Eep7zg6ZY8i9ncO.jpg?width=1200)
普段どうやって情報を受け取っているっけ
極端な意見を目にしたら
たとえば、日本語で以下のような主張を目にした時、どう思うか?
「Webデザイナーなんてもうオワコン!」
「AIで十分だからWebライターなんて不要!」
「SEOの時代は終わりました!」
まぁ過剰な言い切りというか、挑発的というか、極端だよな。確かに各業界が過渡期にある今、言わんとすることに一切共感できないわけではないが、オワコンとか不要になるってより在り方や価値提供の仕方が変わるってことだよね〜みたいに冷静に読むと思う。
で、これは誰の言葉?
また、これを言ってるのは誰なんだ?というのも判断には影響すると思う。いわゆるポジショントークの要素もあるのかもなという前提で読むとか。
プロフィールを見てみて「年収⚫︎⚫︎万達成!」が一番強調されていたら、そっち系か〜と思ってサラッと流したりとか。
言い方や振る舞いってのも大事。やたら過激で攻撃的な表現を使う人とか、他人や他社を蹴落とす言い方で自分の主張を強調しようとする人の言葉である場合も、自分は少し距離を取る。一方的でずるいやり方で中立じゃないし、そもそも人としてどうなん?って疑問を持つ人の言葉をあまり信用したくない、みたいなちょっと感情的解釈も入ってるかもしれない。
情報と距離を保ちながら読んでいる
もちろん、情報は情報で、人は人。よくわからない人が言ってるから信用できない、有名なあの人が言ってるから絶対正しいはず、なんて極端な解釈をするわけではない。要するに、自分の知識、経験、考え方、理念をものさしにしながら、冷静に情報を見るということ。日本語で受け取る時はこれができる。
そのへん、他言語だと鈍感になる
一方で、英語で情報を見た時に、結構疑いなく受け取ってしまいそうな自分に気がついた。
たとえば「figma(※) is NOT forever」という記事があった。その中には、これまでの経緯からしてfigmaだってすぐ別のツールに代わるのだから、figma独自ワークフローの勉強に時間を割くのは愚かです、ということが書かれていた。この記事自体はツールの変遷と今後予測されることが淡々と綴られていて、共感できるものだったし、特に胡散臭い類ではなかったと思う。
※figma(フィグマ)はWebデザインツールの名称です
冷静に考えてみれば、外部ツールを利用している限り、サービスが終了したり、別サービスの台頭により大きく流れが変わる可能性があるのは理解している話。日本語で「figmaの時代も別に永遠じゃないからね」と言われも、まぁそうだわな、と冷静に思うだけだろう。
ただ「figma is NOT forever」を見た時、「えっ…figmaももう終わりなのか…!?」とそのまま吸収し惑わされるところがあった。海外の方が情報が進んでいるだろうという自分の中にあった前提も作用したと思う。
日本語だと冷静に咀嚼できるのに、精通していない言語になると距離の取り方が難しいなと感じた。
![](https://assets.st-note.com/img/1732276678-kTIsExyBhXWPe7blvMZSqtGL.jpg?width=1200)
そもそも「胡散臭い」とかわからない
日本語だと、「あまり信用できないな」「なんか胡散臭いわ」と働く嗅覚も、精通していない英語で読むと働かない。たとえ言ってることの意味はわかっても、かなり強い言い方をしているなとか、言い方に品が無いなみたいなニュアンス部分は感じ取れない。だから、情報の温度がわからなくて、どこまで受け取れているのか疑問が残る。
また、同じ文化圏だとその人の写真の身なりやポーズなどで「なんか胡散臭そう」なんて感じ取ることもある。偏見は良くないとは思っているが、判断するにあたり一切影響してないと言い切れない。しかし、外人さんの写真見ても正直あまりわからない…。みんなシュッとされてますね、と思うだけ(笑)
たとえばだけど。海外で仕事をしてみたいと思っているときに「これだけで月収⚫︎万稼げますよ!」という闇バイトみたいな話が来た時、日本語ならアホか!と流せるところ、「そうなの?」とか食いついちゃったら嫌だ。そこまでアホではないと信じたいけど。でも、大袈裟じゃなくそんな恐怖も感じたりする。
その国や言語圏の文化や商習慣などの背景理解がないと、意味は掴めるけど、自分なりの咀嚼を十分にできない難しさをすごく感じている。
所詮コミュニケーションツール
「所詮言語。やれば喋れるようになるでしょうよ」と楽観的に考えていた。しかし、言ってることがわかることと、ニュアンスを感じ取って咀嚼できることの間にある高い壁を感じて、その楽観に少し影が差した…!
海外でも仕事をいただけるようになりたいなと考えていたが、道のりは思ったより険しそうだな。ヒアリング力や顧客の真意を汲み取っての提案力が強みだと思っていても、日本語が奪われた瞬間に大して強みじゃなくなってしまう。英語圏の方と、英語でコミュニケーションを取って、真意を聞き出して相手の期待を超える提案する…今は無理!
そうなると「具体的な指示をもらえればデザインはできます、一応ツールは触れますから」という程度の市場価値になるなんだと。言語はたかがコミュニケーションツール、されどコミュニケーションツール。人の仕事の付加価値はコミュニケーションの部分にあると思うから、共通言語が無くなるだけで、こんな悩みを持つのか。
と、弱音を書いてしまったが、1つ1つやってみようかね。なんとかなるでしょうよ。
英語が話せる友人が「ネイティブのあなたが頑張って理解してちょうだい。こっちは母国語じゃないのに頑張って喋ってんだから!というくらいの心意気があれば余裕。」とアドバイスをくれた。なるほど、勉強もそうだけどマインドを変えていく必要もありそうだ。これはまた別記事で触れよう。
では、今日もお疲れ様でした。