フリーランス・ライターの充実感と葛藤
個人事業主、フリーランスという働き方は、自分である程度は仕事の量を調整できる。ただし、これは往々にして取捨選択&セーブするよりも、どんどん詰め込む方に走ってしまうのではないかと思う。
「私、忙しいぞ!」が充実感や達成感となり、自己肯定感となる。同時に、自己顕示の材料となる現実。
ライターとしての初期奮闘
ライターとしての仕事が回り始めた頃、私は乳幼児を育てていた。
仕事がピークだった頃、原宿に住み、息子を代官山の幼稚園に預け、娘を代々木の保育園に預けていた。
取材の後、ベビーカーを押して電車を乗り継ぎ、二人を順番に迎える日々。お迎え時間終了の10分前に着いたら、その10分がもったいなくて、保育園前の石垣の上にパソコンを置いて原稿を書いていた。
あの頃の私には、「忙しい」「走り回っている」→「活躍していますね」という、どこかの他人の価値観が乗り移っていた。
いや、それは言い訳で、私の心の奥底には確かに「仕事で自己価値を確かめたい自分」がいて、「ガツガツしたくない自分」と戦っていた。
ニューヨーク移住と転機
その後、夫の仕事の都合でニューヨークへ。
私は、ほぼすべての「企業仕事」を手放した。コロナ禍に突入する前、企業にとってライターは「対面で取材に来るべき」という時代。制作会社にとっては、「海外に行く=取材はお願いできませんね」という時代。
私は「積み上げた実績がゼロになる」と嘆きながら渡米した。
ニューヨークでは、ライター業はしばらく休業でも仕方ないと思っていたけれど、渡米後3ヶ月後には、私は自然の流れに乗るように、記事を書いてオンライン・メディアに掲載していた。
結果的に、一度仕事をリセットできたのは、よかったと思う。
公私ともに受け身の姿勢の私だけれど、その気になれば、「制作会社からの依頼を待って、指定された企業人を取材する」のではなく、「自分で取材相手を見つけて書く」ことが可能だと体感することができたので。
ちなみに、個人事業主の方々は、コロナ禍のzoomブームが始まる前からとても柔軟で、私の拠点がニューヨークに変わっても、日本から文章作成を依頼してくださり、私は世界の潮流より少し早く、オンライン取材の便利さを知った。
ニューヨークで、「意図せず仕事を手放してここにいる」という環境を言い訳に、私は生活の中心を遊びに置き、「オファーがあれば書く。気が向いた仕事だけする」スタイルに甘んじた。
その心地よさを満喫した状態で、駆け出しの頃の働き方を振り返ると、「優雅じゃなかったな」と思う。
とはいえ、あの頃の私には、必要な働き方だったし、だからこそ今があるのだけれど、死ぬまで続ける働き方ではなかった。そういう意味で、前述のように、結果的に一度仕事をリセットできたのは、よかったと思う。
オンライン時代の仕事スタイル
そして世界は変わり、今はオンラインでの打ち合わせ、取材も浸透して、同じアウトプット量であっても、それに伴い走り回ることが6割ほど減った感覚がある。
一方で、ベッドに入っている時間以外は稼働。23時ごろから打ち合わせを始め、気づいたら日付をまたいでいた、ということもあるけれど、これは、日中の時間を余裕をもって優雅に過ごすため。先方もフリーランスの場合、「夜の方が助かる」という方が多い。
実際に私は、日中は仕事とは直接関係ない、心を許せる人たちとの時間を頻繁に取っているし、自分メンテと言いながら贅沢をする時間も作っている。
全体として、かなり気分的・時間的に余裕を持って仕事をしている方だと思う。
「充実感」の正体は
それでも時々、分刻みのスケジュールや、わかりやすい数字を「充実感」と錯覚する自分に陥りそうになる。
そして、ふと考える。
特に、「日常は予告なく壊れてしまうものだ」と思い出させてもらったとき。
忙しさに心躍らせながら、もしその途中で、2度とこの世界には戻れない「ホール(穴)」に突然落ちたら、私は何を悔いるだろうと。
私にとっての人生の充実とは、何だろうと。
今年も私は心の余裕を保つことを忘れないつもり。
それでも、油断すると「忙しさ」と「充実感」に溺れそうになるであろう生活に入る前の今日、改めて考える時間を持てたのは、意味があったと思う。