大切なことはすべて、足の小指が教えてくれる。
先日、娘ちゃんをお風呂に入れる際、
ぼくの着替えを取りに行こうとしたら
椅子に足の小指をぶつけました。
おそらく、人生で初めて悶絶しました。
そんなぼくを見て、娘ちゃんは
うふふ、と楽しそうにケタケタ笑っています。
痛い顔をするのが、おもしろいみたいです。
生後半年にして
ドSっぷりを遺憾なく発揮しています。
一方のぼくは、これを書いている最中も
小指がズキズキ痛みます。
しかし、いつも通り歩き方を変えず、
スタイリッシュに仕事へ向かいます。
歩きにくいのは、小指が痛いから
ぼくは、最寄り駅まで歩いて通勤しています。
自宅からだと、おおよそ25分かかります。
ということは、25分間も小指が靴に擦れるわけです。
文章力皆無で申し訳ないのですが、
めちゃくちゃ痛い。
これでもかってくらいのぶっとい針で、小指をグサグサされている感覚に近いです。
何より歩きにくいのが辛い。
◆せっかちゆえの傲慢
ぼくは、歩くのがめちゃくちゃ早いらしい。
自覚していないのですが、どうもそうらしいです。
せっかちと言ってしまえば、それまでなのですが。
1人分がすれ違えるほどの、幅の狭い道では
前の歩く人に対して、「速く歩いてくれやー。」とか、
「遅いなー、歩くの。」といった気持ちで、苛立っていたことがしょっちゅうありました。
勝手な偏見ですが、
「愛知県の人は、歩くのゆっくりなのかな?」
などと邪推していました。
◆速く歩けないことで、感じたことがある
椅子に小指をぶつけたおかげで、ゆっくり歩く羽目になってしまったワタシ。
そうすると、今までと違う景色が見えてくるもので。
前述した
1人分がすれ違えるほどの幅の狭い道では、
ぼくのすぐ後ろを歩いている人に対して、
申し訳ない気持ちになっていました。
「後ろの人、早く追い抜きたいだろうなー。」
「歩くの遅くてごめんなさいねー。小指痛いんすよー。」
といった、申し訳ない感情が芽生えてきました。
ここでふと思いました。
これからは歩くのが遅い人がいても、悪く思うのはやめよう、と。
松葉杖もなく、歩きにくい素振りを見せていない人でも
もしかしたら、足が悪くて歩きにくいのかもしれない。
もしかしたら、小指を箪笥にぶつけたのかもしれない。
もしかしたら、会社に行くのが嫌で、わざとゆっくり歩いているのかもしれない。
ゆっくり歩いている人には、ゆっくり歩いている人なりの事情がある。
背中に【足の小指を椅子にぶつけたので、歩きにくいです。お先にどうぞ】と書いた紙を、張り付けるわけにもいかないので。
そこは、何かしら汲み取ってあげることが優しい世界なのかなー、と感じました。
ぶつかった小指にありがとう
小指を椅子にぶつけていなければ
ずっと、歩くのが遅い人に対して苛立っていたかもしれません。
そういった必然的な出来事だと捉えることができれば、
これも小さなパラダイムシフトなのではないでしょうか。
なまけもののひとりごと
自分自身がその立場にならないと、分からないことも多いです。
今回の小指の件も然りですが
相手の立場になって考えるには、やはり自分がそれなりの経験値を積んでおかないとキャパシティを拡張できないなー、と感じましたね。
あと、小指さん、早く治ってください。
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