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愛とは結局何なんだろうか

私は、「愛」を感じる物語が好きだ。フィクションでも、現実でも。大きく心を動かされる物事にはたいてい「愛」が関わっている。

けれども、「愛」って何なんだろう。恐らく人によって定義は異なるはずだ。私は何を「愛」だと定義しているのか、ここで1度真剣に考えてみたいと思う。

その為に、いくつかここ近年で「愛」だと感じたものを振り返ってみたい。

愛とは?

「愛」について真剣に考えてみたくなったのはQueenの楽曲がきっかけであるので、まずは彼らの話から。
Queenの楽曲には「愛」を歌った曲は沢山あるが、特にフレディ作詞作曲の楽曲(「Somebody To Love」や「Love Of My Life」、「I Was Born To Love You」、「It's A Hard Life」など)からは、彼の「愛」に対する思いの大きさや思慮深さ、誠実さが見て取れる。その中でも私が1番心を動かされた曲は「Somebody To Love」である。

Can anybody find me somebody to love?
誰か、愛せる人を僕に見つけてくれ

この曲は、“誰かを愛したい”という思いを抱え、もがき彷徨う曲だ。逆に言えば、この曲の彷徨う彼は、“誰かを愛する”ことが出来るだけで光を見いだせると考えている、「愛する」ということに大きな意味と幸せを感じていると言える。

私がこの曲にひどく共感するのも、この曲の中の彼と同じような思いを抱えているからなのだろう。

ここから分かるのは、私は「誰かを愛する」という感情を自分の中に持ちたいと考えており、それを持つことに大きな意味と幸せを感じているということだ。


「誰かを愛する」とはどういう感情?

では「誰かを愛する」とは、具体的にどのような気持ちを向けるということなのだろうか。

よく「愛」と比較されるのが、「恋」である。私がこの2つの違いを感じたのがドラマ「glee」のワンシーンだ。このドラマには、レイチェルとフィン、カートとブレイン、サンタナとブリトニーの3組のカップルが登場する。高校で出会い、恋に落ちた彼らはやがて卒業し、段々と距離が出来ていく。すれ違いの末、別れるというありがちな展開ではあるが、ここで「愛」と「恋」の違いが現れる。

レイチェルとフィン、カートとブレインのカップルは片方の浮気により、お互いを責め立てて喧嘩別れをする。これが「恋」の結末だ。
しかしサンタナとブリトニーはお互いを思い合い、別れた方が貴方にとって良いよね、と言って別れる。これが「愛」である。彼女らは別れた後も助け合い、互いを尊重し合った。互いに他の人からは見逃されがちな長所を認め合い、互いの幸せを願った。

「誰かを愛する」こととはこのように、相手を大切に思い、相手を尊重し、相手の幸せを願うことであると考える。


「相手の幸せを願うこと」だけが愛?

しかし、「相手を大切に思い、相手の幸せを願う」ことだけが「愛」なのだろうか。その他の場面でも「愛」を感じることがある。

例えば、こんな話。フレディが亡くなったあと、ベースのジョン・ディーコンは「フレディがいないQueenなど、Queenではない」と言い、表舞台から退いた。対して、ドラムのロジャーとギターのブライアンはQueenの楽曲を広め続けようと今も演奏を続けているし、映画「ボヘミアン・ラプソディ」の制作には、“僕らが関わらなければフレディにとって不名誉な描かれ方をするかもしれない”という理由で参加もした。どちらも違った「愛」の形である。

後者の「愛」の形は先程述べた「相手の幸せを願う」というような定義に合うが、前者は違う。でもこれも「愛」だと思う。

ドラマ「コントが始まる」。春斗に命を救われた経験のある瞬太は、「春斗の言葉に導かれて間違ったことなんて1度だってない」と多大の信頼を寄せた。これも「愛」だと思う。

ハライチというコンビ。岩井さんが芸人を始めた理由、続ける理由は、相方の澤部さんの存在にある。「澤部と一緒にこの先も仕事出来るなら、楽しいだろうな」という理由で選んだ道なのだ。これも「愛」だと思う。

これらに共通するのは、その人にとって相手は特別な存在であり、「この人だから」という理由で信頼を寄せているということである。


「愛」に幸せを感じる理由

ここまでで、「愛」とはどのようなものかをある程度掴むことが出来た。ここで1度最初の結論に戻ってみる。

私は「誰かを愛する」という感情を自分の中に持ちたいと考えており、それを持つことに大きな意味と幸せを感じている

と結論付けていたが、なぜ「愛する」という感情を自分が持つことに幸せを感じるのだろう。

私が「愛」を抱いた経験を振り返ってみる。これは「愛」だ、と言いきれる程の感情を向けることが出来た推しが1人だけいる。その人が生きていてくれるだけで幸せだし、その人が幸せでいてくれるならより幸せだ。自分自身の感情に気付くのが苦手な私でも、その人の幸せは自分に降りかかった幸せ以上に幸せを感じることが出来る。

「人を愛する」ということは、自分が幸せを感じれる機会を増やすことであり、自分自身の感情を豊かにしてくれるものでもあるのだ。

だから私は、「人を愛したい」のである。


結論

以上の話をまとめると、私にとって「愛」とは「自分にとって特別な存在である相手を大切に思い、信頼をよせ、相手の幸せを願うこと」であり、「誰かを愛する」ことにより、自分自身も幸せを感じることが出来ると考えている。これが結論である。

「愛」という感情はやはり特別なものだ。これからも「愛」に囚われ続けるのだろう。



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