言葉酔い 或いはただの体調不良 2023.5.19
仕事が暇だった。
そのせいで人の話をたくさん聞いた。
SNSを見る時間も多かった。
マンガも読んだ。
言葉に酔った。
そして、サリンジャーが読めなくなった。
それがとてもイヤだった。
だから、今日はこれを書いて早く寝る。
サリンジャーを読めないわたしになりたくはないの。
フラニーとズーイを再読し始めたのだけれど、中盤あたりで疲れてしまった。
あぁ、若かりし頃のわたしはこういうスノッブな作品が好きだと思い込んでいたんだなぁって思って本を閉じた。
背伸びしない読書をしようと思った。
でも、なんだか寂しかった。
この本にはあとがきがなかった。
たしか村上春樹さんが書いた何かを読んだ気がしたのになと検索してみるとやっぱりあった。
その中にあった一文がひっかかった。
ズーイの章に出てくるのは猫を抜けば3人だけ。
そう、この本に限らずサリンジャーが創るグラス家の作品は登場人物が少ない。
グラス家の物語はお世辞にも読みやすいとは言えないし、感情の起伏は期待できない。
どちらかと言えば難解でありスノッブであるとも言えてしまう。
それでもわたしはグラス家が好きだ。
そこにサリンジャーの愛が詰まっているから。
読み手を置き去りにしてまでも、サリンジャーはグラス家と共に生きることを選んだ。
わたしがサリンジャーをヒーロー代表にしたのは、それが理由である。
誰のためでもなく、自分のために書き続けた人。
フラニーとズーイを閉じてしまうのは、わたしにとっていい変化ではない。
この作品を読んで、ワクワクしていた自分を忘れたくない。
読みやすい本やお手軽に感情を揺さぶるものばかりを読むことは自分の創造性を失っていくことに繋がる気がする。
フラニーとズーイのような作品をゆっくりと噛み締めるような感性を持ち続けること。
ありとあらゆる言葉にさらされていると、そうした感性はすぐに曇ってしまう。
気を付けるんだ。
サリンジャーはそういう感性の現状を知らせてくれる。
定期的に帰ってこよう。
とまぁそれっぽく書いてみたが、お腹の調子が悪く軽い頭痛もあるためただの体調不良のせいかもしれない。
うん、やっぱり早く寝よう。
明日はゆっくり穏やかな時間を過ごせますように。
そして、フラニーとズーイを楽しめる自分でありますように。