本当に骨が折れるorz
とにかくこう、幼い頃から何でか人と違ってる。
そこを説明し切るには、言葉が沢山必要だし、知識も必要になる。
それは何故か?
誤解を元に決めつけられてしまうから。
それこそ、普段の生活の中で、そういう抜きん出たと言えるような反応を見せた時。
日常=当たり前のように周囲にいる人達ほど。
見てるだけでなく、勝手に持ち上げて褒めちぎる、持て囃すのに。
いざとなったら、
「お前は自慢してるだけ」
こういう、ね。
言われ方になってしまうので。
そして、ありえないだ、おかしいだ言われる時も同じ様な状態なんですよ。
ありえない、おかしい、なんて言葉がホイホイでる程に、おかしなことを、当たり前としてやってしまう。
ただただそれだけです。
だって、幼い頃からの「あくまで自分にとっての普通」
他の人の聞こえ方とか、見え方とか関係ないんですよ。
自分が把握できるのは、自分が見たものだけ、聞いたものだけ。
それだけでしかない、というのに。
すっごく面倒くさいんです。
更には、ここで記事に書く時も、周囲からの反応。
どんな評価がされ、どんな言葉を投げかけられるか?
そこを合わせて書くのも、そういう、ね。
日常生活の中で面倒が嫌でもあるので、ネットだなんだとわず。
とにかく、自分じゃない「他者からの評価」を扱う必要がある。
そして、それ程に面倒だから。
持ち上げるのを止めて。
評価するのを止めて。
そう、言うんですよ。
評価した側に都合が良い時は評価。
悪い時は真っ向否定、しかも、一方的な決めつけ。
それで、ぶっ叩かれるだけなので。
こういう事を書いてしまうのも
まさに、先日、そういうことがありました。
こうなると、消耗も凄いんですよ。
通院してて、医師から、「客観視が強いと言われる」
こういう話も、自分すげーんだぜ?ではなく。
それ程に違うから、自分だったら、に置き換えての、主観で判断しないでネ。
という、遠回しの牽制だったりします。
というか、自分で凄いと思ってたら、普通はさ。
”自分から、凄い、って言うんじゃないの?”
うん。
ただでさえ、自分が言わなくても、勝手に周囲が。
凄い凄い、言ってくることすら、面倒で止めて欲しい。
うんざりしてるくらい。
だからこそ、こう言うんですよ。
「何はともあれ、普段から、おかしいほどに、気づく人」
そういう人だという事にして、無駄に騒がないで、と。
評価するにしても、素直に喜べとか、評価されてるんだからうけいれろとか。
そういう人ほど、面倒のレベルって上がります。
あくまで、個人が接して来た中ですが。
そうやって、評価を押し付けるほどなのに。
都合が悪くなると、叩きに転じる。
しかも。
「お前は自分がすごいやつだと思い込んでる!」
みたいに、それこそ、周囲の方が勝手に決めつけてくるのに。
「自分たちはやってない。決めつけてるのはお前だ!」
にしかならないんですよ、子どもの頃から。
だからこそ。
普段から、嫌でも、客観的を意識してないとダメ。
それが板についたからこそなのか。
「通院してて、医師にそう言われた」
というのは。
何はどうあれ誤解されるから。
それこそ実際がどうあれ、私自身の頭の中、脳での処理がどの様にある、を話してるだけなのに。
「人の頭の中なんて覗けない」
と、言いつつ、本人の思考と判断が間違ってる、と決めつけてくるのは。
他人のほうが先。
更には、頭の中って覗けないですよね?って敢えてチクチクさせる言い方で”気づかせてあげないことには”
周囲は止まらないんです。
人数を取り出して。
少数派どころか、極端な個人にすらなりかねない。
そういう部分を「何としてでも叩き伏せよう」
そういう行動を幼い頃から、嫌というほどされてるだけでなく。
1歳時点で、おかしいほど。
1歳児には到底出来ないような判断をしてた。
そう気付いてた母親ですらも。
「多くの人から言われる=あんたがおかしいいから」
と。
なんで、個人の思考の話なのに、思考してる本人より、周囲の言い分が正しいになるのか理由を説明して?と言い返そうものなら。
人数差。
はぁ?
なんで思考について。
頭の中が覗けないからこそ、それこそ言及しきれないと言うのに。
多くの人がそういうから、と。
私の頭の中の判断がおかしい、になるのか。
これを幼い頃から数十年積み重ねたせいで。
自分自身から。
「私は間違った人間なので、信用しないでください」
とか、ケロっと言い出すような育ち方もした。
まぁ、先日やりあったのが、本当にもう、いい加減にして、と。
父親だったんですよねぇ。
更に酷いことに……
何度と無く、同じ様な状況で。
何度と無く、同じこと言ってるのに。
いつまで経っても、頭の中での思考を、他者基準で間違いだ、ありえないだ、言われてしまう。
そうだね。
本当にそうなら、学校での成績なんてもっとひどくなるはずなんですが?
「間違いだらけの思考をしてる」
そう言ってくるのは周囲ですし。
半ばやけくそ、故に半ギレ。
流石に私も人間だし、ズレてるとはいえ、感情を持ってるので。
自分から、はいそうですね、わかりました!と。
散々間違ってるだ、おかしいだ、勝手に決めつけてるだ。
そうやって言葉をぶつけてくるから。
「もういいや、話にならないし、そういう事で話しを進めましょうか」
という態度を私が見せると、
”取り繕おうとしてきます”
「そんな事は言ってない、お前がそこまで酷いなら、自分や周りはもっと酷い」
(゚Д゚)ハァ?
ホントもう、呆れるし、イライラもするし、肩もガックリおちてしまうほど。
通算、何度目?もう数えるのが嫌って程。
「言いたいこと」に意識が行き過ぎてて、会話の流れが常にぶつ切りだから、”墓穴を掘る”
なんとかして、私自身に「間違ってる、おかしい」そう言わせようとしてるのか?というほどに。
しつこく、私:間違ってる側、周囲:正しい側、こういう構図で話をされてしまう。
もう、呆れて物が言えないので。
そういう事で良いです、私が間違ってました。
と、認めたら。
逆に取り繕おうとしたり、そこまで言ってない!とこれまた、矛盾したことを言い出したり。
ホントこう、普通じゃない、お前はおかしいというのは、何でそんなに否定しようとするの?というほどにぶつけられるんですよ。
だから一人になろうとする。
だから普段から多くは語らない。
それでいて。
視界の外だろうが、背後だろうが、気付いて。
それこそ、”された側から”
「お前は何で気づけるのか?気を遣うのか?」
寧ろ、それ言ったらアウトやで?と。
言わんほどに、周囲にいる人は。
注意力が足りない。
見る、聞く、気づく、感じ取る
こういう部分が抜けてると、面倒って多いんですよ?ほんと。
生きづらい生きづらいってホイホイ言うようだと。
数の暴力、多数派、多数決。
事実がどうこう以上に、周囲が感情をもって、自分たちは多数派だから正しいんだ!と抑え込みにくる事も山ほど。
生きていけなくなりますよ?
しかも、抑え込みに来る割に、はいはいわかりました。
「私は、普段から、おかしい人です、それでいいですよ」
というヤケクソでも、認める発言、素振りを見せると、掌返し。
「そんなことは言ってない!そこまでの事は言ってない!」
しつこいほど、おかしいだ、間違ってるだ、というのは、何でよ?
しかも、普段は褒めたり、持ち上げたり、驚いたりしてる部分だし。
それこそ、言われる、評価される対象者、当事者として、
「そういう持ち上げ方は、止めて」
しつこいほどに、止めて欲しいと訴えてるのに。
いざとなったら、叩きにくる。
でも、認めると、取り繕おうとする。
が、日常茶飯事で起こり得る。
そういう生活を強いられるんですよ。
そりゃ、胃なんて、胃炎がホイホイ発生するのも、当たり前。
ストレスすっごいですよ。
だからこそいう、感情論って、アホくさいよ?
幼い頃から、ね。
感情的になった人って、感情と勢い。
それこそ、衝動に任せてと言わんばかり。
無駄に言葉を出してくる。
無駄に言葉を並べる=無駄に口を動かすという多動。
相手が何を言ってるか?を考えもしないまま。
ホイホイ言葉を口から吐く。
結果。
こっちもイライラしてるけど、だからこその、ヤケクソを見せようものなら。
途端に取り繕おうとする発言に切り替わる。
そして、こういう様を「矛盾」というわけですから。
矛盾してしまうことで、”揚げ足を自ら取られに行ってしまう”
しかも、揚げ足取られた事に気付いて、エスカレートもする。
そうすると、感情のままに言い過ぎて、それこそ論理破綻。
もう、揚げ足とるどころじゃないほどに、辻褄が合わない意見を作り上げてしまう。
言葉をぶつけ合うと、ね。
おそらくアドレナリンが分泌されてると思います。
が、このアドレナリン。
「逃走か?闘争か?」
といわれるようなホルモンでもあるそうで。
興奮作用があるので、出さない方がいい。
だからこそ、冷静さ、というのを時折、社会では問われることになる。
スポーツなんかの試合では。
淡々とするより、ガッツだ、気合だという話になるものでもあるので、必ずしも悪い事ばかりでもないんですね。
痛覚の麻痺も発生させますし、「何としてでも生き残る!」という意思が強いと、アドレナリンの効果で行動も可能となり。
軌跡の生還とは言わないまでも、危機的な状況を脱する助けになる。
そういうケースもあるんですよね。
で、助かった、と安堵した途端。
「うおおおおおお!!いってええええええ!!」
漫画とか好きなら、そういうシーンを見たことがあると思います。
こういう場合の緊張の糸が切れる、というのも、おそらくアドレナリンの効果も出てるのかなぁ?
そう思います。
まぁ、素人の浅知恵でもあるので、多分、おそらく、こうなんだろうなぁ、という話なのですが。
アドレナリンは一旦置いといて。
話し合いにしろ、論戦にしろ。
言い負かそう、になりやすい人は、注意が必要なのでは?と思います、よ。
感情論って、感情任せでの言い分ですから。
意見や言葉が衝突するようなら、怒りもわけば、それこそ、アドレナリンも出るものと思います。
負けるわけには行かない=引くわけにはいかない、ですから。
更には、相手が興奮してないようなら、それこそ間合いを詰めてくるかのように。
話しを長引かせようと、あれこれ差し出してくるので、対応する時間も長くなります。
そうなると、一旦は感情で味方になってた人たちも、次第にこう、ね。
冷静になり始めもしますし、そうなると、そこまでムキにならんでも、と。
感情をおもむろに出してる方に、異の視線を向け始めます。
それこそ、カップルが突然大声で喧嘩し始める、なんて状況が。
それなりに人が集まってる場所で発生しようものなら。
周囲は白い目で見られる。
そういう状況下だと、極端に渦中にいる人以外は、ね。
感情論だ、論理性だも、関係ないんですよ。
なので、どっちが強いだ、弱いだなんてのは、状況次第。
しかも、感情に訴えても、訴え方を間違うと、墓穴です、墓穴。
と、まぁ、なんか話が広がってしまいましたが、最後にもう少しだけ。
基本、後攻、後手が有利
議論にしろ、論戦にしろ、論争にしろ。
ちゃんと流れを把握してないとダメです。やっぱり。
感情任せに、先んじてしかけたらアウト。
言葉ですから、それこそ、ね。
「まて!それは孔明の罠だ!」
を、言葉で敷けてしまいます。
だからこう、喧嘩の仲裁なんかでも「一旦、冷静になれ!」と。
外野から言われもするんですよ。
また、相談に乗る場合でも、恋愛についてだったりすると、収まりきらないのか。
怒りながら相談を持ちかける人、が相談にくるということもあります。
そういう時は、まず落ち着かせます。
でないと、話が感情任せでめちゃくちゃになってます。
下手すると、相談と言いつつ、ただただ同意を取り付けに来ただけで、うっかり同意をすると、気がついたら巻き込まれてて大惨事。
そういう事もあるんですよね。
なので。
私が何を言っても、それを自分で判断して、自分の言葉として扱えないようなら、相談には乗らない。
釘を指すんですよ。
じゃないと、相談内容次第では、味方として勝手に持ち出された挙げ句、巻き込まれて呼び出される。
ということを、経験しちゃったんですね。
釘刺しても効果がないって人も居ますから。
そもそも、相談に乗る以上、片方側からの意見では判断もしづらいです。
できれば、相手が居るというケースなら、その相手も、と行きたいのが本音。
でないと、状況を見誤る事にもなりますから。
かといって、皆が皆、それを受けてくれるわけでもない。
なので、「相談にのると、自身が判断したのなら」
それこそ、自分が感情的にならないように。
冷静さを維持できないと、自分から首をツッコミもすれば、地雷を踏んで大爆発、ということにもなります。
更には、そういう、片側の意見だけ、ということも多いです。
ケンカしたからと、二人して連れ立って、なんてことはまず無いと言えるほど。
なので、どうしても片側の認識、片側の意見だけになりがちにもなるので。
場合によっては、冷たい人だと言われもしてましたが。
冷静さを維持できないと、相談も乗ってられない。
また、そういう相談に乗るという状況でも。
感情昂ぶってくると、相談者自身が墓穴を掘る、なんてこともあったくらいです。
ある程度は冷静さも持ちつつ。
話の流れを把握しながら。
先手や揚げ足は取られないようにする必要があります。
そのためには。
感情だけ、に頼るのは、悪手。
個人としては、そこだけは、間違いないといえる感じです。
あとがき
今回は、それこそガス抜きから開始。
ホントこう、精神疾患は認知されたものの。
個人としては、手帳どころか、年金までになり、それこそ日常生活に難ありということでの2級だったりします。
しかも、うつ病なので、動こうにも気持ちが沈むことで、ちょっとした買い物すら無理。
なので、動けないからこそ姿をみないわけなのですが。
うつ病という症状は、どういう症状で。
その症状を診断されたとはいえ、私がどういう状態なのか?
今は、どういう話しかけ方をしたほうが良いのか?
配慮が出来ません。悲しいことに。
うちの父親の場合。
それこそ、言いたいから言ったという、衝動で動くばかりの人でもあるんですよ。
その衝動が強いだけでなく、だからこそ、周囲に注意を配れない。
それが地なので、普段から、観察もしなければ、話しかける時に、こちらを向きもしなければ、そもそも違う部屋に居て突然とかもザラです。
また、私のうつ病だけでなく、母のガンですらも。
どのくらい苦しくて、どういう状態になってるのか?
一切、考えようとすらしてませんでした。
まぁ、この部分は母からすれば、父だけでなく、叔母。
母にとっての姉たちも、そういう、ね。
苦しんでる患者がどうなのか?よりも、自分たちが良いと思うこと、をやるばかりなので。
そりゃ、私が毎日顔を出しますって・・・(苦笑)
だから、せめて父には、と。
説得してたのですが、やっぱり無駄でしたというか。
入院初日に送って行って。
家に帰ってからは、
「こんなに愛してるとは思わなかった。今までの自分を後悔した」
そういって、ボロボロ涙流して大泣きして。
え?うちのとーちゃん、こんな一面あったの?と、驚いたくらいです。
でも、結局は。
「ガンになって苦しんでるのに、なんでアンタ以外は私を苦しめに来るの?」
うん。まぁ、そうなるよね・・・。
ふう。
書いてたらきりが無いし、ネガティブなことはあまり出したくないわけですが。
私自身も抱えっぱなしじゃいられないし、うつ病としての色々だけでなく、幼い頃から続いてた経験が悪さをしてるのも、一人で抱えすぎてた、というのは否めないです。
そこが、ようやくこう、ね。
少し安心出来るかな?という状態にはなったものの。
まだまだ、問題は山積みというか。
まぁ、コレ以上は色々出てしまうので、止めておきましょう。
うん。
ただ、一つだけ言っておこうかなぁ。
自由だか、権利だかしらないけど。
自分に固執する人が増えてる以上、世の中悪化しますよ?
これから先、今以上に。
自分すらも、時として手放す。
必要な時には拾って、確固たる自分として持ちうる。
そういう柔軟さを持たないことには、人間がカッチカチになって。
衝突しようものなら衝撃が発生して当たり前ですよーう。
それでは。