世界分の1の話
誰だって、笑顔で誰かの地雷を踏み抜いている。
誰だって、自分はそうではないと思いながら、思い込みながら、ばっさりと誰かを傷つけているのだ。
それはわたしも、あなたも。
思いやりを忘れること、心をはかり間違えること、いろいろあるけれど、正しくありたいと心から願う。
「正しく」とは、正論のことではない。正論を振りかざすのは正しくない。正しい立場で正しい言葉を使うのは気持ちいいし楽だろうけれど、それにやさしさは伴わない。
言われたくないであろうことは言わない、でもそれが必要なのであれば言う。傷つけることを覚悟した上で、言葉を選びながら話したい。ひとり対ひとりで。
向き合うその人の、決して見えない心を、それでも見たい。
なにげない言葉、話し方、しぐさ、視線、声色、すべてが発するかすかな心の揺れる音に、敏感でありたい。
とても信じられやしないけれど、今これを読んでいるあなたが、隣の部屋で眠っているあの人が、わたしの服を破ったあの男の子が、決して「名もなき登場人物B」でなく、わたしと同じようにたったひとつの心を授かり、コントロールのきかない喜怒哀楽とともに生きている人間なのだということを、わたしは知っている。あなたは知っている?
常に選択の連続であるこの世界で、だけどその選択がどんなに思いのよらない結果をもたらしたとしても、リセットなど許されないこの世界で。
正解などないのだけど、言わない、言う、何を言わない、何を言う、ずっと考えていたい。
傷つけないより傷つける方が、言わないより言う方が、いつだって簡単だった。
むかし、金八先生が「正しいとは、一に止まると書きます」と言っていたのを思い出す。
笑顔で誰かを殺す前に、
善意で誰かを壊す前に、
いちど、考えなければいけなかったよね。
それはわたしも、あなたも。
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