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青森ぶらり旅(2024年12月28日)


1.遠征とは…

#遠征 とは, #野球観戦 に, #観光#食事#相乗効果 である。どこの偉い人が言ったかはわかりませんが,今回は #青森#弘前#大館 の遠征記を記録しておきます。まずは,初日の青森から始めましょう。

この新幹線の編成に乗車していないのは,次の画像から判明できます。
(2024年12月28日,著者撮影)

2.「はやぶさ」を予約できない!

 福岡から上京し,実家には「大晦日までには帰る」と伝えて通過。 #東京駅 から, #東北新幹線 に乗車。福岡拠点だと,山陽・九州新幹線の利用が中心となってしまいましたので, #JR東日本 管内の新幹線乗車には新鮮さを覚えます。
 しかし,年末で ♪北へ帰る人の群れ♪ と重なってしまい,「 #はやぶさ 」を通しての予約はできず,秋田行「 #こまち 」の乗車となりました。そのおかげで, #盛岡 で途中下車を強いられ,次発の「はやぶさ」に乗車させられましたが,そのおかげで,切り離しシーンを見物できました。

盛岡駅で切り離しを見物している大半は大人
(2024年12月28日,著者撮影)

3.早くもハプニング発生

 青森までの鉄道旅は,人生で4回目です。初回は #青函連絡船 の廃止直前に乗船した時(1986年)で, ♪上野発の夜行列車♪ で行きました。2回目はサークル仲間で #北海道 を周遊した時(1992年),3回目は #東北四大祭り を観に行った時(1999年)ですので,四半世紀ぶりの訪問となりますが,東京から #新青森 まで4時間足らずで着いてしまうことに驚かされました。
 ここで,まずハプニング。前夜からの大雪の影響で除雪作業が遅れ, #奥羽本線 の弘前方面が不通。運転再開は午後8時ごろと予告されたので,反対方面の #青森駅 へ向かいました。

♪青森駅は雪の中♪
(2024年12月28日,著者撮影)

4.青函連絡船の思い出

 青函連絡船の往来を覚えている世代から見た青森駅は,随分と寂しい空間となってしまいました。最近, #松本清張 の『 #点と線 』を読み返す機会があったのですが,そこでは,連絡船が事件解決の手がかりの1つとなるので,往時を偲ぶことができます。
 私が当時乗船した連絡船は, #摩周丸#十和田丸 でした。現在, #青森港 では, #八甲田丸メモリアルシップとして繋留・展示されています。今回は,時間の制約で見学できませんでしたが,かつて青森- #函館 間を4時間かけて航海した軌跡は,いつまでも残しておいてもらいたいものです。

♪私もひとり 連絡船に乗り こごえそうな鷗見つめ 泣いていました♪

5.青森アップルバーガー

 冬至直後ですので,午後4時台にはすっかり暗くなり,かといって,奥羽本線の不通はまだ続いていましたので,エキヨコにある #ハンバーガーショップOCEAN'S DINERへ。こちらのハンバーガーは, #佐世保バーガー に代表されるアメリカン・サイズで,ナイフとフォークが付いてきます。 #青森県 には, #陸奥湾#大湊#軍港 がありましたので(現在は, #海上自衛隊#大湊基地 ),こうしたサイズは受け入れやすいのかもしれません。
 せっかく青森までに来たので,何か青森らしい種類のバーガーを洗濯したくなり, #青森アップルバーガー#りんごジュース を注文。 #八甲田牛 から滴る肉汁と,オリーブオイルで揚げた青森県産りんごの果汁が,口の中でほどよく溶け合っていました。

OSEAN'S DINERの青森アップルバーガーとりんごジュース
(2024年12月28日,著者撮影)

 待てば海路もとい陸路の日和あり。不通だった奥羽本線が,予定を1時間早めて午後7時から運転再開。たった2両の車内は,観光客に加えて,家路を急ぐ通勤客でごった返していましたが,およそ1時間かけて弘前へ到着しました。

♪息でくもる窓のガラス ふいてみたけど はるかにかすむ 見えるだけ♪
(2024年12月28日,著者撮影)

6.それではお聴き下さい:津軽海峡・冬景色


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