流浪の月(本ver.)
凪良ゆう著の「流浪の月」を読了したので、ここに感想を書いていこうと思う。
私がこの作品に出会ったのはU-NEXTでのブックのコーナー。
あなたにおすすめと表示された幾多の本の中に羅列されていて、ふと目が合った。
表紙の甘いアイスクリームに惹かれたのかもしれない。
何となく見たことある題名だったし、確か映画化もされてたよな、とか思いながら作品の詳細ページに飛ぶ。
あと、数日後に消失してしまうポイントが1200円分も残ってるし、とりあえず買っておこう的な気分で購入した。
あらすじ
人と違うことは罪か。
この物語では主人公更紗サイドと、その他の人間サイドが徹底的に相容れない形で描かれている。
例えば、更紗の両親がまだ更紗の元にいた頃、母は周りの人に変わり者扱いされ、若干煙たがられていた。
更紗もまたその母の血を濃く受け継ぎ、小学校には重くてダサいランドセルではなく、軽くておしゃれなカータブルを背負って通っていたが、叔母さんの家に行ってからはそのことに難色を示され、ランドセルを背負うことを勧められる。
また、文が学生時代に庭に植えられていた小さなトリネコの木。文自身はその姿に安らぎを感じていたものの、彼の母親に「成長しないから」という理由で、無惨にも引き抜かれ新しいものに取り替えられた。
何故人は、自分と違うことや、思った通りの結果にならなかった時に、拒否反応を示してしまうのか?
個性が大事とか言ってるくせに、いつの間にか目くじらを立ててしまうのは、どうしてだろう?
自分と何か違っていても、そこに幸せがあり、安らぎがあれば放っておけばいいのに。
それは怖いからだと思う。
自分が知らないことや、範囲の外に出たものに対して、どう対処したらいいか分からず、次第に怖くなる。
やがてその恐怖心を正当化するために、相手を攻撃することで自分を救っているのではないだろうか。
恋愛感情がないことは罪か。
佐伯文のことを、私はペドフィリア、つまり“小児性愛者“だと思っていた。
でも物語を進めていくうちに、彼は小児性愛者ではなくむしろ誰にも恋愛感情や性欲を抱けてないことが発覚した。
作中では、文の病気について明かされてはいないものの、おそらく、クラインフェルター症候群だったのでは?と思う。
彼は、そのことで周りと違う自分に苦悩し恐怖することになる。
文がもし、例えその対象が小さな女の子だとしても、誰かを愛することができれば、彼はここまで苦しまずに済んだのだろうか?
更紗の唇についたケチャップを拭っても、何も思わなかった時の絶望した文。
自分ではどうしようもないことなのに、自分を責め続け、劣等感を抱いて生きていかねばならない人生は、どれほど重たいのか。
夕飯のアイスクリームは罪か。
表紙にもなっているアイスクリーム。
主人公更紗が子供の頃、両親と一緒に、優雅に自堕落に食べたアイスクリーム。
そんなアイスクリームを夕飯に食べる事は、罪なのだろうか?
更紗が夕飯にアイスクリームを食べたいと言った時、出会った当初の文は最初こそ戸惑いはしたけど、更紗に言われるがまま一緒に食べた。
更紗がアイスクリームを食べる場面は、とびきり無邪気で、そのくせ大人びた口調で話していて、その生意気さもまた愛らしかった。
本人がこの上ない幸福を感じている瞬間だったと思う。
でも、この物語のほとんどの人はアイスクリームを夕飯に食べることに怪訝な表情を浮かべ、困ったような顔をして、やんわり拒否していた。
そのことは間違ってないと思う。
だってアイスはご飯じゃないから。
人によっては犯してはいけない禁忌でもあるだろう。
物語の終盤で、更紗が彼氏ではなく、文と一緒にいることを選んだのは、きっとこの禁忌を一緒に犯してくれるからだ。
それこそが、彼女の幸福でありアイデンティティだから。
私はどうだろう。
きっと、最初は「駄目」と言ってしまうだろう。
だって今までアイスを夕飯に食べたことはないから。
わからない世界を容易に受け入れられるほど、私も柔軟な人間ではない。
でも結局は、一緒に禁忌を犯してしまうだろう。
「アイスクリームを夕飯に食べてはいけない理由は何?」
なんて更紗に言われたら、きっと。
最後に
この作品、幸せなひとときはあっという間で、すぐに世間の「善意の攻撃」で苦しむ場面が押し寄せてくる。
文と更紗の実際の様子を知ってるこちらからしてみれば、彼らの間に何一つやましいことはしてないのに!
彼らなりの幸せを築いているだけなのに!
どうして、誰もそこに目を向けないのか!
と、ものすごく歯痒くなった。
でもそれはたまたま私が読者という形で、彼らの実情を知れただけで、もし現実世界で同じようなことが起きた時、報道やメディアからしか情報を受け取れない場合だったら、私も同じようなことをしていたかもしれない。
私は、この作品から本当に沢山のことを語りかけられ、読みながら、それに対して一生懸命に考え、思考することが多かった。
やっと捻り出した答えを一緒に聞いてくれて、また新たな疑問が提示される。
本作は、自分の常識を今一度見つめ直す機会をくれる、まるで自分自身を映し出す鏡のような作品。
自分が築き上げてきた常識と向き合いたい貴方に是非。