2018年1冊目『江副浩正』
リクルート事件が起きた30年前、私は大学院の2回生で、リクルートの内定者でした。
バブル時代でしたので、就職先は選び放題でした。
しかし、大学院時代の研究が忙しかったのと、一度決めたことを簡単に変更するのが嫌で入社を決めました。
そのリクルートの創業者の江副さんの本です。
※私が入社した時は、江副さんが現場とコミュニケーションする場面は無く、会ったことはありません。
著者は、私の新人時代の上司の土屋 洋さんと土屋さんの同期の馬場マコトさん(亀倉雄策さんを書いた「朱の記憶」の著者)。
膨大なリクルート本、リクルートの社内報、江副さんの身内の方や関係者の手紙や取材をもとに書かれた本です。
お二人は、江副さんの礼賛本にしないと固く誓って、この本を書かれたそうです。
私は、部内者であり、完全に客観的にこの本を読むことは難しいです。
しかし、それを差し引いても、江副さんの光と影を客観的に書かれた本だと感じました。
30年たった現在の企業経営においても、江副さんのビジネスに対する嗅覚、特にここだと思った時の「人モノ金」の投資の量・スピードは、今でも参考になります。
多様な意見は求めるが、最後は自分で決めるも完璧です。
まさに、Disagree and Commitですね。
一般のイケテイナイ会社は逆のAgree but non commit(表面的に同意して、従わない)なんですよね。
※各論は、ぜひ読んでみて下さい。これ読むだけでも価値があります。
歴史にタラレバは無いですが、リクルートコスモス株の話(=リクルート事件)を読んで、いろいろなことを思いました。
当初野村証券を幹事会社にしようとしていたそうです。
しかし、検討時間が長かったことがきっかけで、ボタンのかけ違いが生じ、別の証券会社を幹事会社にしたのです。
その証券会社に複数回確認したところ、未公開株をお世話になった人に渡すのは問題ないという話だったそうです。
少なくとも、江副さんの記憶ではそうでした。
実際は、もちろん、そうではありませんでした。
リクルート事件の裁判結審後の話ですが、
野村証券の当時の担当者と話をすると、バラマキに問題が無かろうが、野村証券が幹事会社であれば、は絶対に止めたというのです。
政治家に対しては、絶対止めたというのです。
この話が本当であれば、もしも幹事会社を当初想定通りにしてたら、リクルート事件は起きなかった可能性があるのです。
リクルート事件が起きていなければ、リクルートはどうなったのでしょう。
おそらく、リクルートコスモスは、膨張を続けていました。
そうすると、数年後のバブルが弾けた時の負債は、1兆数千万円では済まなかった可能性が高かったでしょう。
すると、リクルートもバブルと同時に弾けていたかもしれません。
この話に限らず、膨大な資料をもとに書かれた本です。
様々なエピソードが載っていますが、一次情報をベースに書かれているので、迫力が違います。
私も、生原稿をチェックさせて頂く機会があり、あとがきに名前があります。
光栄です。
ぜひ、読んでみて下さい。