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百目鬼はなぜ「豚まんと肉まん」を間違えたのか?『囀る鳥は羽ばたかない』

こんにちは! 鳴かない雉です。

忙しくて、ちょっと記事の更新に間が空きましたが…

今日は、「え!? そんなことまで考察するの?」と思われるような、少しニッチマニアックな考察を行っていきたいと思います。

『囀る鳥は羽ばたかない』において、「」に関わるシーンは、あまり多くありません。

その中でも、作品の雰囲気と違和感アリアリなのが、「豚まん」と「肉まん」の場面です。(1巻159頁)

矢代が百目鬼に「豚まん」を買ってくるよう言ったのに、百目鬼が間違えて「フツーの肉まん」を買ってきた、というようなことが語られています。

1度目に読んだ時は、このシーンに少し引っ掛かりを覚えながらも、読み流してしまいました。

しかし、再読しても、どうしてもここに違和感を覚えてしまうのです。

それで、現在刊行されている9巻までの大筋を念頭に置きながら、この場面を読み返してみると…

見えてきた気がするんです。深〜い意味が…

そもそも、ヨネダコウ先生が、何の意味もなく、違和感ある場面を描くはずがない!

ということで、今日は『囀る』における「豚まん」と「肉まん」の意味と、なぜ百目鬼はこの2つを間違えたのかについて、考察を行って参りたいと思います。

あくまでも私見ですので、ゆる〜くお付き合いいただければ幸いです!



①「豚まん」と「肉まん」の違い

『囀る』において、食に関連する記述は少ない。

その数少ない食の場面において、矢代も百目鬼も、食べる物にはおろか、食べるという行為にさえ、こだわらない様子が見てとれる。

それなのに、1巻159頁で唐突に出てくる「豚まん」と「肉まん」。

『囀る』の、男くさくて、カッコよくて、美しくて、切ない世界観と、豚まん&肉まん……あまりにもギャップがありすぎる…

まず、その場面を詳しく見ていこう。

帰宅中の矢代が、豚まんが食べたいと七原に告げた後「この前みたいにフツーの肉まんと間違え…(るなよ)」と言いかけて、七原から「百目鬼っすか? アイツほんっとバカですよねー」と返され、『もう来ないだろうな…アイツ(百目鬼)』と、矢代が少し寂し気な表情を浮かべる−−−−(1巻159頁)

この場面は一見、「百目鬼がバカ(世間知らず)で使えない」エピソードに思える。(矢代にとって百目鬼の存在が当たり前になっていることを表すシーンでもあるが、今回は触れないこととする)

だが、そもそも「豚まん」と「肉まん」の違いって、関西と関東の呼び方の違いだけなのでは?

と、私は疑問に思い、百目鬼が何を間違えたのか、最初は理解できなかった。

そこで、両者について検索してみると、面白いことがわかった。

コンビニでは、「肉まん」と「豚まん」が別商品として販売されていることを。

以下は、セブンイレブンの商品画像である。

セブンイレブン

見た目も中の具にも違いがあり、価格も80円ほど異なる。

つまり、矢代が食べたかったのは、安い「肉まん」ではなく、高級路線の方の「豚まん」だった訳だ。

矢代が「フツーの肉まんと間違え…」と言ったのは、なるほどこういうことか。

ちなみに、ファミリーマートも、同様のラインナップであった。

ファミリーマート

ファミマでも、肉まんより豚まんの方が価格が高い。

要するに、コンビニ業界においては、「豚まん」は肉まんの進化系であり、ハイグレード品なのである。

単に、関西と関東の言い方の違いであり、中身は一緒と思っていた私には、軽くカルチャーショックだった。

そして、なぜ百目鬼がこの2つを間違えたのか、その理由はすぐに理解できた。

それについては、次の項で述べていこう。


②百目鬼はなぜ「豚まん」と「肉まん」を間違えたのか?


「豚まん」と「肉まん」の違いは、関西と関東の単なる呼び方の違いだと、私が思っていたように、百目鬼も、この2つはまったく同じ物だと思い込んでいたのではないか。(とはいえ、ちゃんとコンビニの陳列を見れば分かりそうだが…猪突猛進の百目鬼なら犯しそうなミスではある…笑)

このことから分かるのは、百目鬼が今まで、頻繁にコンビニに立ち寄るような生活を送ってこなかった、ということだ。

それは、子ども時代、コンビニ食に馴染みのない、恵まれた家庭環境だった、とも言える。

当たり前のように、母親手作りの料理が食卓に並び、自宅におやつが用意されている、そんな家庭環境だったのだろうか。

百目鬼の、素直で実直な性格からも、育ちの良さを感じるが、「豚まん」と「肉まん」の間違いは、その違いを知る機会がないくらい、百目鬼が恵まれた環境で育ってきた、ということの証左なのではないかと思うのである。(だとすれば、父親の裏切りはあまりにも残酷だ)

余談だが、私も普段あまりコンビニへ行かないのだが(家庭環境が良い訳ではなく、単に面倒臭がりゆえです…)、今回豚まんと肉まんの違いを知り、興味がわいたので、近いうちに食べ比べをしてみたいと思う。(その感想は、こちらの記事に追記として述べたいと思います笑)


③矢代の生い立ちと食の関係

では、矢代はどうかと言えば…

母親からネグレクトされ、義父から性的虐待を受けて育った矢代にとって、コンビニはきっと食料を得るための命綱のような場所であっただろう。

たまの食事やおやつを買いに行くという通常の頻度ではなく、毎日のように、コンビニを利用する生活であったことは、容易に想像できる。

また、矢代が食べることにこだわりのないことは、あらゆる場面で伺い知れる。

いま考察している「豚まん」の場面でも、マンション前で待つ百目鬼を目にした途端「食事<百目鬼」になってしまう。(ぎゅるる、とお腹が鳴っていたにも関わらず)
(矢代にとっては、豚まんより、百目鬼の皮のついてないウィンナーの方が食欲をそそり美味い、ということなのかもしれない)

「食」が家族団欒の場であったり、親の愛情表現であったり、栄養を摂り味覚を楽しむものであったりするのは、あくまでも普通の家庭でのことで、矢代のような境遇なら、食に空腹を満たす以外の特別な想いが宿るはずもないだろう

このシーンからも、たまにならともかく、何度も豚まんを手下に買いに行かせていることが伺え、30代半ばの男が晩飯をコンビニの豚まんで済ませようとする場面には、矢代の孤独な生い立ちが反映されていると考える。

以上のように、「豚まん」によって、百目鬼と矢代の境遇が対比的に描かれているのではないかと、私は解釈するのである。


④結論

以上のように「豚まん」と「肉まん」が、百目鬼と矢代の境遇の違いを対比的に表しているのではないかと、考察した訳だが…

結論として、もう1点付け加えたいことがある。

この「豚まん」のシーンは「百目鬼がバカ(世間知らず)で使えない」エピソードとしても語られている。

この件だけでなく、「百目鬼がバカで使えない」といった記述は、1巻を中心に何度もあるが、最新刊まで読み終えた読者なら、百目鬼の有能さは既にご承知のことだろう

百目鬼の人物造型については、またの機会に詳しく考察するつもりだが、この機会に少し触れておくと…

『囀る鳥は羽ばたかない』は、一度人生に躓き、知らない世界へ迷い込んだ雛鳥(百目鬼)が、自分を導く存在(矢代)に守られて育ち、成鳥として一人立ちした後に、今度は守る側となって(矢代の元へ)戻り、最後は2人で(自由な)大空へ羽ばたく物語であると、私は推測している。

であるから、1巻の百目鬼は、決してバカでも使えないヤツでもなく、産まれたての雛鳥のように、ただ素直で不器用な人物として描かれているのだと考える。

そこが、ヤクザ側の人間からしたら、世間知らずでバカに見えるだけのことなのだろう。(矢代は早々に、百目鬼の有能さに気付いていたが)

また、金貸しの方で使い物にならなかったのは、ヤクザの闇金だとうすうす気付いていた百目鬼が(『遠火』にその記述あり)、単に本気を出していなかったからだろう。

まさに、能ある鷹は爪を隠す

元来、頭の回転が早く有能だが、まだ若く実直で無口な性格、さらに今までの堅実な人生とは真逆の世界へ飛び込んだがゆえに、上手く立ち回れない百目鬼。

しかし、矢代という導く者の存在を得て、スポンジが水を含むようにどんどん成長していく。

そして、矢代から離れ一人立ちし、4年後、狡く強かで逞しくなった百目鬼が、再び矢代の前に現れる

そして、今後はきっと百目鬼が矢代を守り、かつて矢代が百目鬼をトラウマから救ってくれたように、百目鬼が矢代をトラウマから救済するのであろうと、心から信じるのである


以上、豚まんをテーマに、好き勝手に私見を述べて参りましたが、長〜い考察にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

「豚まん」と「肉まん」の違いさえ分からなかった百目鬼が、7巻以降はあんなに頼れる大人の男になって…感無量です。

片や、矢代さんは、「頭」から「ヒロイン」といった風情となり…

この美しい2人が手を取り合い、自由な大空へと飛び立つことができますように…

※新米腐女子なため、先行研究・先行考察・先行書評に目を通せておりません。こちらには独断的な解釈・感想を述べているだけですので、ご了承くださいませ。

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