中身ペラペラ人間が、飲食店経営を通じて、成り上がるまでのプロセスを綴っていく。
はじめに
私は中身がペラペラの、どこにでもいるような、それなりのコミュニケーション能力を持っているだけの上っ面だけで生きている24歳である。
タイトルでは成り上がるまでのプロセスを綴るなどと謳っているが、私は現状何もない人間だ。成り上がってもないし、成り上がりたいと思いつつも何も行動に移せていないのだから。こうしてnotoに自分の思っていることを発信し、習慣にすることで少しでも自分の学び、アウトプットになればと始めたが、1ヶ月後には続けているかすら自分に期待できない。
私は現状、いわゆる“成功しない人”の分類なのである。
1度目の投稿で見る人さえ居ないと思うが、どこの誰かもわからないやつの稚拙な文章に少しでも感情移入をしてもらえるよう、自分の経歴を書こうと思う。
幼少時代〜大学時代
愛知県の名古屋市郊外の田舎で生まれた私は裕福な家庭で育った。当時は当たり前と思っていたが、大人になって改めて、自分は育ちがいい、恵まれた環境があったと認識している。両親は大きな愛を長男である私に注いでくれた。おかげで人から可愛がってもらえる能力が身についた。勉強も運動も、正直なんでも“できる方“の部類だった。もちろん井の中の蛙であるが、自分は優秀な人間だと、勘違いしていた。小学生からサッカーを初め、中学では愛知県選抜にも入った。周りは私を称賛していた。勉強もできた。授業を聞いていて理解ができないということも少なかったし、周りと比べて地頭がいいと感じていた。両親はそんな私を自慢の息子だと思ってくれていただろう。高校は県内で有名な文武両道の私立に進学した(公立は落ちた)。高校サッカー、大学受験、甘酸っぱい青春。絵に描いたような充実した生活を送っていた。
周りから見れば、なんの悩みも無さそうな恵まれた家庭の子ども。そんな恵まれた子どもは少しずつ自分に“違和感“を覚え始めていた。
“本当に自分は優秀なのか。“
歳をとるに連れて周りの友人に、ある能力で追い抜かされたり、新しく出会う人は遥かに自分より、ある能力が秀でていたり、何も考えずになんとなくでやってきたから、何かを考えて生きている人たちに次々と追い抜かされていくのである。何が追い抜かされているのかはわからないが、人と比べ自分が劣っていると感じる場面が増えたのである。
確かに私は何も考えていなかった。いや、正確には“考えてやっている風で、何も考えずにこなしていた”
それが自分自身にバレ始めたのが“違和感”の正体なんだと22歳の時に気づいた。
大学受験でもこなすことはできた。
いわゆる難関大学と呼ばれる私立大学に現役で合格できた。
そこに対して大きな努力があったことは自負できるが、やはり私は優秀ではない。大学に入っただけで、遊び呆け、友達と楽しく飲食店で、アルバイトをし、何も勉強しなかった。
すぐに就職活動の時期を迎えた。私はその時、自分が優秀ではないと気づけていなかったため、どうせある程度いい会社に入れると思っていた。
結果、内定をもらえた。
何も考えずにこなしているだけの生活でも恵まれた家庭と愛のある両親がいればそれなりの人生は送れるのだと感じた。
そこで私は人生で初めて自分自身に素直に正直に問いかけた。
「このままでいいのか?」
「決められたようなレールの上で、考えずにこなすだけの人生で」。
答えは「嫌だ」であった。
自分自身に期待したかった。自分の能力を信じてみたかった。やっぱり自分は“優秀な人間”なんだと。
飲食店経営といったビジネスに触れるキッカケ
就職活動活動のタイミングでアルバイトをしていた居酒屋の店長から「一緒に店をやらないか」との誘いがあった。アルバイトとはいえ、真剣に売上向上に努め、楽しく本気で働いていた自分を買ってくれていたことが素直に嬉しかった。
正直最初はそんな低収入、重労働な仕事できねえよと、偏見じみた考えを持っていた。しかしながら、実際、飲食店の業務はだいすきだった。自分のお客様ができたときの承認欲求が満たされた感覚に、やりがいを感じていたし、何より楽しかった。
その誘いが、自分の中の焦りに近い問いかけと交錯した。
交錯と表現したが、答えはここにあるというような感覚であった。
私は内定を辞退し、店長と新規の飲食店経営をする道を選んだのである。
おわりに
初めて自分のことを長く書いたが、やはり中身ペラペラ君だなと改めて感じている。(笑)
そんなやつどこにでもおんねん!
だが、文章にすることは良いことだなと改めて感じた。何より、自分の頭の中が形になる。脳内のデータが集約されている感覚に近い。
支離滅裂で脱線の連続、中途半端な終わり方をするnoteであるが、今後も続けていきたい。
今日は終わり🦋