恋愛感情のお話
もるです🐈
本日は簡潔に恋愛感情のお話です。
私は幼稚園生の時の近所の子好きとなっていた時以来ずっと理解し得ない感情でして、皆好きとか付き合いたいとかどこで覚えてきたのが教えて欲しいくらい私にとって滅多に起こらないことで、ずっと不思議な感じです。
いわゆる恋バナの流れになった時好きな人の名前が挙げられないのって致命的じゃないですか?だから私は小学校の終わりくらいまで好きな人の名前にその近所の子を言ってました。(今思うとだいぶ辛辣な行為の気もしますが、)心なしか好きな人がいる娘を親も喜んでいるのが幼心にも伝わっていてなんとなくこれでいいのかなと思っていました。
でも中学生になっていよいよこのままではいけないぞと思い直して自分と向き合ってみることにしました。周りと明らかに何かが違う自分。毎日毎日それをどうにか既存の概念に当てはめられないか必死の思いで検索していてたどり着いたのがLGBTでした。
中学生の当時、何の知識もとっかかりもない状態から理解するのにかなり苦労しながらも自分が何なのか毎日考えていて。正直今もよく分かっていないけど少しだけ自分の居場所に近づいた気がして嬉しかったのを覚えています。
私は、異性を恋愛対象に思わなくても誰かを好きになることができなくてもそれでもいいんだという道が少しでも開けていてそんな生きかたが認められているんだと分かった時心から安心したし自由になれた気がして。自分のペースで自分の感情に向き合えるようになった気がしました。
なんか国の偉い人が人間を生産性云々で語って、心無い発言をしているようですが少数派だからといって、ただの平凡な国民に対して生き方を尊重してしないような発言を公にしていいわけがないので。非常に怒っています。中学生の私がこの言葉を聞いたとしたら卒倒したかもしれないし。
正直この手の話題に関しては家族とか友達とかの何気ない発言から気がずんと重くなることが多いです。ああこんなにも伝わっていないんだなと痛感します。何気ない言葉は本当に強いので、何倍にも重くなって想像より長くのしかかってきます。自分の言葉で自分自身や周りに呪いをかけないように、見つけたらそのままにしないで分かってもらえなかったとしても必ず説明をするように心がけています。難しすぎて全く上手くできないけどそれでも私が救われたように、誰かにとっての居場所を守っていく一因になりたいと思うのです。
こうやって自分と向き合ってみると、私って本当に生きずらいんだなって実感が強くなってしまって本当に嫌になるけどこれも案外気に入ってるかなと思った深夜でした
じゃじゃ〜🌼