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能登半島地震/災害ボランティア

沖縄を出て、旅中に行ったボランティアです。
ボランティアなどに参加した事は無く、この機会にと思い行ってきました。
そこであった事、感じた事を当時書いていました。

石川県能登半島地震の災害ボランティアに行ってきました。
ボランティアでの事を書いてます。長くなってるので、興味の有る方は読んでみて下さい。
ただ、感じた事を書いてます。

旅をする時に、何か災害とかあったら行ってみようかと話はしていた。
ニュースで能登半島のボランティアはまだまだ必要だと流れていた。能登の和倉温泉には毎年のように家族旅行で訪れていて、どうなっているか気になっていた。自分達にとって石川は富山の隣という事もあり、身近に感じており行こうとなった。
ニュースでは、被災者とボランティアしたい人、受け入れする自治体の調整が難しく難航してるとの事だった。
県のホームページなどで調べて、迷惑にならないよう案内に沿って受付をした。
色々とネットで受付を進めるも、難しいし手間も多かった。
電話での問い合わせは業務に支障が出るとの事で出来なかった。
当日まで、機械的簡易的なメールの返信のみで担当者などの説明はなく、受付出来てるかさえ不安だった。
スマホ、ネットが苦手な人、高齢の方は受付するだけでもハードルが高いなと感じた。
受け入れの枠は思ってたより少なく、後日すぐ満員の状態であった。
事前にボランティア保険に加入し、ボランティア前日にベースキャンプ地に前乗りした。

施設の受付もすごく簡易的で、軽い説明だけだった。いくつか質問するも曖昧で把握出来てるのか不安になる程だった。
マニュアルがしっかりした施設、ホテルなど立派な接客を経験していると凄く違和感があり不安だった。
しかし、ここは被災地であり、施設を運営している方もボランティアの可能性もある。急遽集められた方々で運営している現状なのだろう。

もちろん宿泊施設の環境も良くは無い。
教室の中に簡易テントが10つほど並べられ、プラベートは無い。
断水は続き施設内にトイレは無い。
3.4階の部屋から外の仮設トイレまで行かなくてはならず、手を洗う水もタンクに貯められた水で衛生面が気になる。
今の時期でも朝、晩は冷える。平気で気温10℃以下に下がり、部屋は寒いし夜中のトイレはさらに過酷。かなり厳しい環境だった。

本当はダメかもしれないが、自分達は車中泊で過ごした。プライベートも守れるし寒さも車中泊の方がしのげた。

施設も色んな業者やボランティアが入り混じる中で1人1人の把握は困難だと感じた。
全ては自己責任、
防犯面は心配であった。これだけ大人数が出入りして把握が難しい状況で、不審者1人2人紛れ込んでも分からない。ボランティアも皆んなが皆んな同じ気持ちとは限らない。
犯罪が増える理由も分かる。
女性は特に勇気がいるしハードルが高い。

食事飲料水も勿論自分で準備しないといけない。
ボランティア中の昼ご飯も勿論だ。
現地がどれだけスーパー、コンビニが再開していて食料調達できるのかも分からず、行ってみないと分からない状況だった。
最低限は行く前に調達して行った。
現地はまだまだ休業しているお店も多いが、街中に開いてあるお店は少しずつあった。

能登に向かう道中は悲惨な状況だった。
道路は崩れ落ち、下に車もまだ落ちている状況で、マンホールも飛び出している。
能登に向かう1番大きな道、のと里山街道(国道)は片側通行になっており、反対車線が崩れ落ちてる所はざらにあった。道路は補修されてはいるが凸凹で、波打ってる道路もある。
正直、よくこの道を通れるようにしたなと思う。
より末端の地域に行くと一般道はさらに悲惨だった。左右には潰れている家屋土砂崩れの跡、通行止めも多く、今にも土砂が崩れて来るんじゃ無いかと思い通行するのが怖い所もあった。
地域によっては集落全滅の所もあり、本当にテレビで見る世界がまだ残っていた。

ボランティアに参加している人は年齢層も幅広く、50〜60代くらいの方が多い印象であった。
本当に全国色んな場所から、色んな職種の人が集まっていて、色んな話が聞けて良かった。
沖縄出身、沖縄ナンバーは人気者だった。
名前と顔だけで沖縄でしょ?と、言われる事も多かった。沖縄ブランドですね。

ボランティアに参加している人達は本当に一生懸命でやる気に満ち溢れていた。
何か出来る事は無いか、せっかく来たのだから少しでも力になりたい、そう思っている人達しか居なかった。
同じ目的、同じ目標にむかって皆んなが同じ方向を向いている集団は強い。一体感が凄かった
チーム、企業の有るべき姿がそこにあった気がした。その姿に胸が熱くなった。

ボランティアの内容は災害ゴミの撤去から仕分け、瓦礫等の撤去、家財の運搬など多岐にわたるものだった。
お家の方とも話す機会もあり、何と声をかけていいか迷う事もあった。
そもそも、住める状況では無く避難していて不在の家も多かった。
やはり、ボランティアでは限界がある。
半壊、全壊のお家の解体、撤去は専門の技術職の人が必要でそこの人手は全然足りて無いのかなと感じた。インフラの復帰が最優先だとは思う。

ボランティアを通して
ボランティア期間中は何度もこれはあくまでもボランティアだから!と自分に、芳美に言い聞かせていた。
どんな不自由、不都合があっても誰が悪いでも無く自己責任なのである。
もちろん、環境に耐えられず途中で辞めるのも全く問題の無い事なのである。
ボランティアの内容がキツくて途中で辞めるのも自由だ。
逆に無理をして体調不良や怪我をされる方が本末転倒である。
被災者さんの依頼でも、出来無いものは出来ないとお伝えするしか無い。危険は伴ない
被災地の状況は悲惨であり、土砂崩れや倒壊のリスク、瓦礫などでの怪我の可能性は十分にある。
もちろん、安全性は確認されているとは思うが全てにおいて自己責任なのである。

基本被災された方のお家などは撮影禁止
プライベートの観点やお気持ちを考えると当然の事である。
しかし、中にはこの状況、復興の進まない今の現状をSNSなどでも皆んなに知って欲しいと言う方もいた。考えさせられる出来事だった。
倒壊した家屋は色々な物が散乱し、手付かずの状況が多かった。
そこで、増えるのが盗難である。
ほとんどの家は解体、撤去になる為、使える物や金目の物を持って行く人がいるそうだ。
どんな事があっても長年住んだ家であり、思い入れが深い物である。
警察の巡回は異常に、多かった。
他府県の警察車両が多く、応援なのだろう。

公的な機関の業者じゃ無い業者が廃品買取回収しますよと営業に来ていた。どうせ捨てるなら買い取りますよというスタンスだ。
1軒2時間のボランティア中、に別々の会社で3件も来たりしていた。
被災された方の心境を考えると辛い。
話しをする事、震災を思い出すだけでも辛いのに何度も何度も家を覗かれるのだから。
見てて本当に気持ち良く無かった。
確かに、捨てるより持って行ってもらってお金にした方が良いのかとも思ったが、
被災者からしたら、こうなりたくてなった訳では無く、整理もついてない。
そうゆう弱みにつけ込んで、自分達の利益の為に営業していると考えたら、被災者の気持ちを全く考えていないなと思った。ニュースでも盗難などの話をしていたが、本当にそんなことをする人がいるのかと呆れて、心が痛くなった。
業者さんも許可を取っていて、犯罪を犯している訳ではない。
ただ、何とも言えない感情になった。

国の支援が足りず復興が進まない状況にこれは人災だと、話しを聞いた事がある。
自分は復興に関して何も分からないし、他の災害での被災地がどうだったかは分からないが、実際に行って見て思ったのは被災されてる所の規模が大き過ぎるなと思った。
4メートル隆起した海岸、景観の変わってしまった海、いたるところで土砂崩れた山などの自然から、
家屋建物、道路にいたるまでと被害が大きい。
正直、4ヶ月でここまで道路を整備して、人が通れるようになっている事に驚いた。
どんなにお金をかけても技術職には限界があり、マンパワー不足は否めない。

高齢化、過疎化の進む能登をどれだけの予算をかけて復興するのか?能登島は見捨てられる!
そうゆう話も聞いた事がある
自分がイメージしていた程の田舎では無いし、普通に街で、集落が立ち並ぶとても自然豊かな街並みだった。そこには沢山の人間の生活がある。
もちろん子供もいるし、学校もある
年齢は関係なく、人間の生活がそこにあった。

命有るだけ良かったよ、、、
老後ゆっくり過ごすつもりだったのに、、、

そんな悲しい事があっていいのか、
絶対に復興はしないといけないし、少しでも早く平穏な暮らしが戻って欲しい。
そう思った。
震災から復興に向けて進み始めているが、被災地や現地の方々の時はとまっている中、時間だけは同じように過ぎて行く。何も無かったかのように青々と生い茂る木々や花々、水平線が見える青い海、無常にも自然は変わらず美しかった。
満点の星空に、能登半島から望む立山連峰。山頂が浮いているようで、近くから見る景色とは違った良さがあった。
本当にいい場所だった。

少しでも被災者の為になるように、
自分の経験として何かを得れるように、
初めて災害ボランティアに参加して、とても多くの事を感じる事が出来て本当に良かったと思う。
実際に見て聞いて感じる事が1番真実で大切であることが改めてわかった。
自分が言う事では無いかもしれないが、
被災地には息の長い支援が必要なのかもしれない。
また、タイミングが有れば少しでもボランティア出来たら良いなと思います。


被災地の方々が心穏やかに過ごせる日々を願っています。

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