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スキする
noteをはじめて最初に「おお」ってなったのはこの「スキ」システム。(システムっていうのかどうかは知らないけど)
SNSとかでいうところの「いいね」に近い。
「いいね」はFacebookでは今スタンプのバリエーションが増えて「いいね」とか「かなしいね」とか、Covid-19以降はハートを抱きしめた「大切だね」なんていうのもできたりしてるので、以前よりはスタンプ一つでも意思表示がこまやかになってたりするんだけど。
「いいね」って言葉としても絶妙に、会話で使ってもそうだけど、「良いね」の意図なのか、「まあまあ」なのか「わかったよ」なのか、単なる相づち以上の意味もないっていうのとか、はたまた「皮肉」の意図をもつものまでどのようにもとれる。そこまで深読む必要はないにしても取りよう、言いようでいかにでも幅が利く。
実際『朝からお腹激痛で死ぬかと思た』みたいなポストに「いいね!」でもないけど、「こうやってFacebookにあげられてるくらいだから大丈夫よね、頑張れ。」の意味を込めて「いいね」を押すことがある。
そのへんのモヤモヤがあってFacebookのスタンプの幅が広がったっていうのは、そういう心の機微というかちゃんと伝えたいの欲求が細かいというか、めんどくさいというか、Facebookは利用者の年齢層高め、っていうのもそこに繋がるんじゃないかしら、という46歳の考察。
その「いいね」と比べるのはどうなのかだけど、
noteの「スキ」は、
ずいぶんとダイレクトだなぁ、と思いました。
あなたのことがスキ、あなたの書く文章がスキ、
あなたの撮る写真がスキ、あなたのレシピがスキ、
あなたの作る世界観がスキ。
最後のヤツ書いてて少し恥ずかしい。
いいね、とかウケるね、とか短い表現のはずなのにいやにうしろ側にいろいろ心根が隠されるそういうワードより、「スキ」はシンプルで、強い。
白黒はっきり言えないことも多いし、前回の記事はスキだけど、今回はなんか違うな、とか、中村倫也さんは「凪のお暇」と「半分、青い」の時の役の時は完璧なる「スキ」だけど、それ以外のときあれ?ってなる、などということもままある。例えは例えとして。
でも少なくとも、今押したその「スキ」はきっぱりと私を(あなたを)肯定している!ということがすごく明快に感じられます。
なんか時々色々上手くいかんなあと思うときうっかりYouTubeなんぞで「自己肯定感を高めるヒーリングミュージック」とか聞いちゃう、睡眠導入でずっと聞いちゃう、なんてことをするよりもずっと分かりやすく幸せな気持ちになります。
なので、スキしてみてくだされば嬉しい。
で、ここまでいくつかアップした記事にスキ、としてくださった方が何人かいらして、素朴に、どういう経路でここにやってこられたのかが不思議なのです。もちろんハッシュタグつけてみたり、noteさんが新しいアカウントを仲間にいれてあげようっていう優しいシステムに満ち溢れているのもわかるけど、ちょっと不思議で、「ははーん、記事は読んでないけども自分の記事に誘うためにひとわたりフォロワーの少ないアカウントの記事はスキって押すんだな」と、やっぱり疑心暗鬼になってしまうのです。
ま、それでもいいんですけどね。
スキ、ってしてくれたら少なくとも私、その方のページには必ず見に行くし(追える程度に少ないから)、そこで面白ければ「お返しにスキー」ってやるし、なんならフォローもするかもしれません。
昨日アップした「つづけてないくせに、noteのつづけかたを考えてみる」には書いてなかったけど、手帳や日記帳じゃなく、曲がりなりにも他人様の目に触れる場所に書くってことは、ひとから好かれることを求めてるから。
なので、つづけるためには「スキ」されるのはいいことでした。