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意識を向けることで見えるもの

マッハの自画像

マッハの自画像というものがある。

自画像と聞いて大半の人は鏡に映る自分の顔を書くと思うが、マッハは自画像として、自分の見える世界を主観的に書いた。

それだけで、他とは異なる自画像なのだが、この自画像の大きな特徴は自分の鼻を書いていることである。恐らく、「自分の見えるものを書いてください」とお願いしても自分の鼻まで書く人は殆どいないはずだ。

だけど、意識を向けると確かに自分の鼻は常に視界に入っている。見えているはずなのに、意識が向いていないことによって見ることができない。

たまにある「10円玉を書いてください」というワークもそうだ。みんな意外と書けず、毎日使うものでも意識を向けなければ見えていないのである。

意識を向けるために必要なこと

話は少し変わるが、最近毎日同じコースをランニングしている。
今日も同じコースをランニングしていたのだが、犬の散歩をしている女性が立ち止まって何かを見ていた。

気になって女性の視線の先に目を向けると綺麗な梅の花が咲いていた。恐らく、今日咲いたわけではなく、少し前から咲いていたのだと思う。
毎日その道を通っていたはずなのに、全く気付かなかった。

自分一人では絶対に気付かなかったであろう、綺麗な梅の花に、犬の散歩をしている女性のおかげで気付けたのである。

これと同じことを最近noteでも感じている。
noteを始めたのは言語化する力を磨きたかったからだ。
その訓練にはなるのだが、それ以上に他の人が書くnoteに触れ、他の人の関心を意識することに価値があるのではないかと思い始めた。

他人の関心に触れることで、見えていないものに意識がいき、見えるものがある。

これからもnoteを通じて色々な関心に触れ、今まで見えなかったものを見えるようにしていきたい。

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