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心も傷つく 脳も傷つく - トラウマとは?

心理療法やカウンセリング場面をおとずれる人たちは、心がうまくはたらかなくなって、苦しくなってやってこられます。

そして、そういう方たちの背後にあると考えられるのが、「心の傷つき(トラウマ)」です。

でも、「心」は目に見えないですし、直接手で触れることもできないものなので、これまで、「心の傷つき」などというものは存在しないし、「心」は「強い精神力」や「気合い」で、なんとでもなるものだ、と考えられてきました。

「心が傷つく」なんて、それはその人のメンタルが「弱い」からであり、その人が「悪い」のだ。

そんなふうに、逆に責められてしまうことすらあったのが、これまでの「心の傷」というものに対する扱いであったように思うのです。


しかし、最近の脳科学の研究によって、人は、心理的・肉体的にダメージを受けるような経験をすると、「実際に脳もダメージを受ける」ということが明らかになってきました。
脳内を画像で撮影する技術などが発達してきたことによって、繰り返される暴言や暴力、命にかかわるような危険な恐怖体験などにさらされた人の脳は、うまく機能しなくなってしまったり、場合によっては変形(萎縮・膨張など)してしまうこともあるのが、わかってきたのです。

また、偏った不当な環境におかれ続けると、人はその環境の中で自分の心身を守るために、本来ではない、不健全な反応を繰り返してしまうようになる(脳内にそういう反応の回路が形成されてしまう)ことも、明らかになってきています。

https://psych.or.jp/publication/world080/pw05/

つまり、心というものも、体と同じように、傷つけられたり、圧力がかかると、いたんだり、折れたり、ゆがんでしまったり、うまくはたらかなくなってしまったりするものなのであり、膝小僧をすりむいたり、骨折したら、痛みを感じるように、心もまた、ぞんざいに扱われたり、耐え難い無茶苦茶なものをぶつけられたりしたら、痛みを感じるし、壊れてしまうこともあるものなのですね。


また、日々の生活の中で、ときに不安になったり、さみしくなったり、強い怒りがわいてきたり、かなしくなったり、絶望してしまったり。。。
体と同じように、いろいろな反応をするのが心というものなのであり、わたしたちの心は、いつも明るく元気で、ポジティブであれるものではありません。

心がときにネガティブな方向に振れることがあっても、それはおかしいことでもなんでもないことですし、そういう心の動きや、湧いてくる負の感情も、本来自然なものなのであり、抑え込んで、ないものにしてしまっては、いけないものなのです。

僕は、大学生のときに、人生初の告白をして(だいぶ遅めだったかもしれませんね)、見事に振られてしまったときに、そのときのショックを無意識的にないものにしてしまいました。
「こんなことなんでもないよ」と強がって、だれにもショックを打ち明けることもなかったですし、相手になにか言っていくこともしなかったですし、「僕が至らなかった(悪かった)のだ」と自分で自分を納得させて、その後も表面上、ひょうひょうとして、なにも変わらない生活を続けていたのです。

しかし、それから二か月ほどが経ったある日、僕は原因不明の激しい頭痛と吐き気、下痢の症状に襲われて、のたうち回ることになりました。
数日しても症状がおさまらないので、髄膜炎を心配した親が、病院に連れて行ってくれて、CTなども撮ってもらったのですが、異常はなく、身体的な原因はわかりませんでした。

そして、どうすることもできないままに、痛みに苦しんでいた僕は、症状が治まらない中、少しうつらうつらしていたときに、不思議な夢を見たのでした。

それは、「水が流れる真っ暗な鍾乳洞のようなところを、かがり火がたかれる中で、桶の上に乗せられたひな人形のようなものが流されていく」という夢で、その情景を見ながら、僕は「ああ、なんてかなしいんだ」という感情がこみあげてきて、泣きそうになったのでした。

そして、目覚めながら思い出したのは、「ああ、僕はあのとき、彼女に振られて、ほんとうはすごく傷ついて、かなしかったんだな。。。でも心が感じたその気持ちを、受け止めきれなくて、抑え込んでしまっていたんだな。。。」ということでした。。。

「ああ、かなしい。。。ほんとうにかなしい。。。傷ついた。。。」
そのあと、しばしの間、僕は自分の中でそれまであまりちゃんと感じたことがなかった「かなしみと傷つきの感情」に、心から浸りました。

すると、不思議なことに、それから起き上がると、しばらくしてから頭痛や吐き気の症状が消え去っていったのです。

たかが、失恋話ではありますが、これは僕が、「心の傷つき(トラウマ)」というものは実際に存在するものなのであり、それをないものとして抑え込んだりしたとしても、決して消え去るものではなく、キチンと向き合って癒すことをしないと、ずっと心の中に残り続けて、自分に害をなすものになってしまうのだ、ということを思い知らされた実体験です。

先ほど、脳も実際に傷つくのだ、という話をしましたが、うれしい出来事であれ、かなしく傷つく出来事であれ、なにかが起こってくれば、わたしたちはそれを目で見て、耳で聴いて、鼻でかいで、肌で感じて、それぞれの感覚器官でとらえられた情報は、電気信号に変換されて、インパルスとなって、わたしたちの脳の中を駆け巡ります。そして、必ずなにかの痕跡を残すのです。
そしてその衝撃が心で受け止めきれないままに、非常に害的なものとなった場合には、心的外傷後ストレス障害(PTSD:Post Traumatic Stress Disorder)という診断名がつくこともあるのです。

https://medical.jiji.com/topics/2548


最初の方に書いたことの繰り返しになるのですが、「心」というものは目に見えませんし、直接触ることもできません。
そういう「実体のない」ものが心なので、心は、どんなことがあったって、どんなふうに扱ったって、無限の対応可能性があって、傷つかないし、壊れないし、なくならない。
そういうものだと思い込んでしまいがちなのですが、決してそんなことはないのです。

心は、体(脳)という有限なものから生まれてくるものなのであり、栄養を取って、適度な休養をとって、ケアをしなければ、体が調子を崩してしまうのとまったく同じように、心というものも、愛情という栄養をしっかり補給しながら、疲れたら休ませて、傷ついたらケアをして、大切に気を配って扱っていかなければ、不具合が生じて、うまくはたらかなくなってしまうものなのです。

見えないからといって、無視して置き去りにするのではなくて、ちゃんと「自分の心」で感じとって、心も体も、トータルなケアを!!なのですね。

みなさんも、かけがえのない心をどうか大切に!!

https://cocosapo.net/


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