村弘氏穂の日経下段 #2(2017.4.8)
モスラでも時に化粧するだろう真夜中二時に紅ひいてみる
(さいたま 玄井 冬)
怪獣と化粧とのギャップに一瞬戸惑ったのち、はっとさせられた。モスラは夜の海で光ったり危機に面して虹色になったりもする。その名はMothとMotherを掛け合わせたものだから、蛾の怪獣であると同時に母性を象徴する怪獣でもあるのだ。真夜中に突然孵化した作者の意識は、きっと美しい繭を作って蛹化して、鏡台の前で羽化したことだろう。
バスが道間違えてなおしまったと聞こえることもなくただ走る
(札幌 石河いおり)
路線バスであればまず道を間違えることはないのだろうけど、ここには確かに路線バスの空気感が漂っている。切迫感を置き去りに走行し続けるバス自体に、何らかの意思が宿っているかのよう。日常の中に潜んでいた危うい世界に直面した作者もまた、淡々と危機的状況を詠んでいる点も不思議な魅力がある。
キリストに自転車の乗り方教え駆け出したいな狭い路地裏
(横浜 安西大樹)
神様に教えるという逆転現象に奇妙な面白みがある。しかも主たる動力源が自力である自転車というツールの意外性。キリストがその自転車を漕ぎ出すよりも先に駆け出してしまいそうな高揚感は一体どこから来るのだろう。狭い路地裏から途轍もなく広い宇宙が生まれた。
トムとジェリー始まるときのライオンはまだ元気かな死んじゃったかな
(山形 うにがわえりも)
たしかに二次元作品なのにオープニングのメトロ・ゴールドウィン・メイヤーのレオ・ザ・ライオンだけは実写だった。主役でもないそこに着眼して懐かしむ独特な発想に惹かれた。オスライオンの寿命は長くても十年だから当然この世にはもう居ないんだけれど、こうして新聞に載ったことで、レオ・ザ・ライオンは浮かばれたんじゃないかな。
遠足に行くはずだったおにぎりが雨の教室を転がっていく
(坂戸 かしくらゆう)
おにぎりは〈私〉である。不本意に屋内で転がっているが本当は、草原や砂浜で弾むはずだった〈私〉なのだ。目的地に合わせて周到に用意されたお弁当やおやつは、開く場所が変わるとたぶんその味も変わってしまうのだろう。教室のジメジメとした重い空気や生徒たちの絶望の溜め息までもが伝わってくる。
どこからが死か 満開の紫陽花に葬送曲のように降る雨
(東京 榛 瑞穂)
天を仰ぐ花と地に向かう雨。みなぎる生と見送る死。詩歌では相性がいいはずの紫陽花と雨が意外な視点で描かれている。生と死の境目のような一字の空白にはまだ瑞々しい死が存在しているかのよう。生死の逆転現象を渇求する若き歌人のためのレクイエムだろうか。