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『村弘氏穂の日経下段』#0

 こんばんは、村弘氏穂です。

月初に曖昧な記憶のままに書いてしまった岡井隆さんの

「わたしの選歌欄の一席から末席までの序列イコール決して作品の優劣ではない」

というお言葉が、まるでこのマガジンの連載を始めるために、私が捏造した言葉のようで気がかりだった皆さんのために今夜は書いています。

証拠の記事がようやく見つかりましたので、岡井先生の3パターンの素敵なお写真とともに転載し、当該部分を抜粋しておきます。司書のかたからの許可はいただいております。(岡井隆さん、日本経済新聞社さんには無許可ですが……)

アルバイトを27人も雇ってようやく探し出した記事なので、是非ともご一読ください。

上から順に1999年12月26日、2000年12月17日、2009年12月27日の日経新聞の歌壇です。


《わたしは、毎週の選歌の時もそうなのだが、入選歌の配列に気を配るようにしている。巻首から巻尾まで一つのリズムとメロディを持って読めるように考えて編む。だから巻首の五首だけに批評・感想をつけるのも、そのメロディの中へ一篇のカデンツア(装飾楽句)を加えるぐらいのつもりなので、配列の後ろへ行くほど作品の質が落ちるということは、まったくなく、全作品はほぼ均質なのである。》



《「歌壇は」毎週十四首選んで並べるが、巻頭から五首に短い解説とコメントを付ける。しかし、並べる順番は出来のよしあしとは関係がない。みな均質で価値に高下はないと考えてください。》



毎週の選出でも巻頭五首に評をつけるがそれ以外の作だって質的には差異はない。特に一番最後には注目作を置くように私はしている。》

 以上が岡井先生の選歌および選評のお心得の引用です。

このお考えが念頭にあったので私もここで、人様の素敵な俳句や短歌の作品をたびたび引用していますけど、複数を引用する際には、できるだけ読者の方々に一連のリズムやメロディ性を感じていただけるように考えて配置しているんです。

そういった岡井隆先生の姿勢を踏襲する選者の方は、歌壇にも少なくないんじゃないかなと思います。 理由なんて要りませんよね、だって岡井隆先生なんですから。

もちろん私の主観ではありますけど、一段と心を打たれる作品が下段に置かれているケースをたびたび目にしますから。まさに今朝の毎日新聞の歌壇で、それを目の当たりにしています。

だから、最後には注目作を置くという岡井先生の意図が胸に響いたんです。

ご自分の作品が新聞歌壇の巻尾(末席)に掲載されていて、悔しがっている人をブログなどでたまに見かけますけど、むしろ喜ぶべきポジションなんですよね。

その位置に欠けているのは、岡井先生がおっしゃるところのカデンツアだけなのです。

カデンツァっていうのは、演奏技巧(短歌レトリック)を十分発揮できるように挿入された即興楽句(短評)ですけど、岡井先生の場合はそれ自体の技巧が優れていらっしゃるから、その日の歌壇の完結性が見事なんですよ。

当然私などには、そのような技量もセンスもないので、拙いコメントを添えるだけですけど、人様が世に送り出した、生きている歌たちを悲しませるような偽終止だけは打たないように心掛けて、『日経下段』を連載していこうと思っています。

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