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村弘氏穂の日経下段 #3(2017.4.15)

名を忘れし人も夢に来し春の夜昔を思ふ齢となりぬ

(国分寺 越前春生)

 名前も思い出せない人物が夢に出てくるなんていう矛盾めいた現象が、我々の精神世界には確かに起こり得る。無意識の中の意識は、夢に出た側と夢を見た側のどちらにも存在するのかもしれない。遠い昔の学友に出会った日も、別れた日も春である場合、思い出す日もまた春なのであろうか。


雰囲気におされてしまい会場の電気の色を認識できず

(潟上 渡辺崇晴)


 この場所がどのような会場であり、また何の催しであるかさえ、敢えて全く書かれていない。そこに存在する、どんな立場であるのか判らない作者が、何色か認識できない照明の下で、決して平常心ではない事と、その緊張の色ばかりがハッキリと窺えてしまう点に、妙な説得力と揺るぎない魅力がある。

 


前を行く男女の片方わが友に決して声などかけてはならぬ

(清瀬 石井 孝)


 前方に位置するわけだから、友からのサインは何もない。男女の片方に声掛けをしない事は、頑なに守るべく在る作者のルール。それを是とする確信はどこからくるのだろう。友である対象が、男女のどちらであっても成立してしまう構成なので、友を詠いながらも浮き彫りになる孤独感に切ない詩情が宿った。

 

もう一度うそを重ねて会うことの算段ののち眠りまた闇

(豊田 外川菊絵)

 枕辺で練る戦略や戦術は往々にして想定実験までであり、実践されることは少ない。再会への期待感と虚言の罪悪感のせめぎ合いの末に訪れた漆黒の闇は、紛れもなく痛みの象徴である。しかしながらその闇の奥に存在する幽かな光は、儚くも眩しい一縷の目星なのであろう。

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