村弘氏穂の日経下段 #4(2017.4.22)
手の甲に「プレゼント買う」と書いてある女子の右手が吊り革でゆれる
(東京 やすふじまさひろ)
ユニークな視点と発想で描かれていて随所ではっとさせられる。吊り革に届く以上は女児ではなくて女子である。しかしながら、右手で吊り革を握っている以上は右利きの可能性が高いので、左手で書かれている文字はおそらく拙い。手のひらではなくて手の甲なので、尚更書きにくいはず。それほど大きくはないであろうその拙い文字を、親しくもない他者が解読することは容易ではない。強く握りしめている吊り革は、揺らぐことない親しい者との愛情の繋がりを象徴しているのかもしれない。
八階の窓の向こうは動かざる直線ばかり 風が見えない
(豊中 柚月杏子)
この空間に存在する自然物は人間だけである。心地よい風を可視化してくれるものが何もない部屋は、果たして心地よいのだろうか。その答えは結句の前に置かれた溜息が教えてくれている。景観と呼ぶには程遠い平面図的な世界に、遠近感さえも見失いそうになることだろう。何故なら風に揺れることもない人工物を見ている作者もまた、その人工物の中に身を置いているのだから。
雪はまず眠らぬ者に降ってくる降られてみたき熱き手のひら
(東京 楊井裕美)
今年の冬の東京の降雪は少なかった。それでも、眠らない街の眠らない者たちは希少な雪を手にしている。早寝していた幼い時分には、朝起きたら窓の外の一面が銀世界に変わっていて、やたらと高揚した記憶がある人も多いのではと思う。憧憬の下の句からは、情熱で雪を溶かしてしまう子ども、若しくは童心にかえりたい大人の体温を感じた。
サラダ巻に花びらは降りやまなくて君と最後の春を笑った
(東京 市岡和恵)
末尾の「笑った」という一言で悲壮感を引き出してしまう手腕に強く惹かれた。親密な二人の花見のシーンでありながら、読むほどに逆転現象が生じてくる構図。そこには会話もやや少なく、食事もあまり進まない絵が浮かんでくる。何故なら花がずっと降っている先は、空っぽになった紙の皿ではなくてサラダ巻自体なのだから。降りやまないのは花びらのように儚くて美しい涙なのかもしれない。