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【一首評】第36回歌壇賞受賞作・次席・候補作品より(その1)
「歌壇」2025年2月号は第36回歌壇賞の発表号でした。
昨年に引き続き、今年も歌壇賞の受賞作、次席、候補作品の一首評を書きたいと思います。
なめらかに音の跳躍をするときの燕が垂直にのぼるイメージ
津島ひたち「風のたまり場」
歌壇賞受賞作より。オーボエを吹き続けることを諦めざるを得なかった、
その痛みが根底に流れる一連だが
それを抱えながらも軽やかで、読んでいてとても心地よい。
一首一首にはっと立ち止まるような表現がありつつ、
全体として言葉にあまり負荷をかけない、風通しのよい文体が特徴的だ。
取り上げた一首は、オーボエを吹いている感覚を思い出しているのだろう。
「音の跳躍」という聴覚や、また実際に吹く時の指遣いなどの触覚を
「燕が垂直にのぼるイメージ」という視覚に鮮やかに転換している。
読者の目前で、本当に燕が上空へのぼっていくようで、
その羽ばたきから来る風まで感じることができる。
あしたには遺伝子を操作されること知らぬナズナは長く根を張る
滝ノ瀬莉子「遺伝子を抱く」
次席作品より。ナズナの実験をする主体。
生活の中にナズナが深く関わっていて、
料理をしていても恋人と会っていても、そこにナズナがあるようだ。
引いた一首は、「遺伝子の操作をされる」という語が不穏だ。
主体にとっては日常なのだろうが、読者としては少し怖くも思ってしまう。
ましてや当のナズナは、それを知ったら一体どんな気持ちだろう。
もちろんナズナは植物なので、それを知ることはきっとないだろう。
けれど遺伝子操作されるのが、ナズナではなかったら?
様々な可能性に思いを巡らせることになる一首。
結句の「長く」が、実際に見ている者だからこそ出てくる表現だと思う。
以下、候補作品より。
聞き返しながら梯子を立てかけるように傾いてゆく 父へと
月島理華「ペルセウス」
父親が脳出血で失語症になるという辛い体験を、詩情を持って作品に定着させている。
「聞き返しながら」は、父親の脳出血を最初に主体が聞いたときのことと取った。
にわかには信じられない、聞き間違いかもしれない、と主体は聞き返す。
でも悪いことが起きたことは紛れもなくわかっていて、気持ちが父の方へ傾いていく。
その瞬間を表現した「梯子を立てかけるように」が、非常に効いていると思う。
一気にではない、弧を描くような梯子の動き。
おそらく気持ちの動きが先にあって、それに当てはまるものを様々に考えたすえ、梯子に行き着いたのではないだろうか。
「父へと」の前の一字あけも、微妙な時間経過を表しているようだ。
救うという夜明けのように傲慢な心で僕は水を飲み干す
石井大成「雁と灯」
「長い病」「薬」という言葉が出てくる一連なので、主体は何か問題を抱えつつ、
「思想」「小説」「言葉」というものに懐疑的な面も吐露するような連作だ。
引いた一首は「救う」という気持ちが傲慢だという。自分を救うのと他人を救うのとでは、少し意味合いが異なるかもしれないが、
相手の上に立って、相手を助ける、という意味が含まれ、対等ではない関係を想起させるから傲慢なのだろう。
とはいえ「救う」という気持ちや行為は、むしろ良いものであるはずで、
それすら傲慢で悪いと思ってしまう主体の、自分を罰するような苦しさが浮き彫りになるようだ。
そしてその傲慢さの比較対象として「夜明け」がある。
「夜明け」も暗さから解放される良いものであるはずなのに、
この主体にとっては「望んでいないのに勝手に訪れるもの」なのだろうか。
そんな気持ちを抱えて、主体は水を飲み干すしかない。
その2に続きます。