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よりぬき1

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しばらく数えていないので正確な文字数は不明ですが、10万字を超えていることはまず間違いありません。
それぞれ単体で110円の記事であることを考えるとめちゃくちゃお得になっています!!
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#貴種流離譚

【奇譚】南米唯一の君主制の起源 奴隷堕ちしたアフリカの王子、新大陸で奴隷たちの王になる

はじめに 歴史を紐解けば、奴隷から身を起こして君主になった人間は少なくない。その例として、エジプトのマムルーク朝や北インドの奴隷王朝の一部君主、(伝説上の存在ではあるが)第6代ローマ王セルウィウス・トゥッリウスが挙げられる。さすがに奴隷ほど低い身分からはそう頻繁には出ないが、貧農の末子として生まれて明朝を開闢した朱元璋(=洪武帝)など、賤民からの劇的な成り上がりを遂げた例はかなり多い。  逆に、生まれながらの君主一族が奴隷身分に転落した事例もある。具体的には、人身売買業者に

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【奇譚】奴隷の子孫、突然王子になる:DNA鑑定でベナンの王家の末裔と判明!

はじめに:先祖への関心 とある民家での会話だ。「うちのご先祖、槍の名人がいたんですって」。鴨居に飾られている一本の槍を指さしながら、少女は語った。  また別の民家での会話だ。「ひいおじいさんが殿様に拝領した盃じゃ」。立派な桐箱の中から取り出した盃を愛おしげに眺めながら、老婆は言った。  よその家の先祖自慢を聞いて、磯野家の長男・カツオはすっかり羨ましくなってしまった。自宅に帰るや、彼は父・波平にこう尋ねた。「お父さん、うちの先祖で有名な人いないの?」  その問いかけに対

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【愛知県の皇室伝承】4.漂着した皇族「開元王」の栄枯盛衰 民話「海に消えた皇子」(豊橋市)

※写真はすべて令和四(二〇二二)年四月五日 皇子「開元の宮」伝説: 『牟呂村瑞雲山真福寺観音由来記』より牟呂大海津公園  愛知県豊橋市の西部、牟呂に「牟呂大海津公園」という公園がある。毎年三月末から四月初頭にかけて、園内に植えられた数十本のサクラが一斉に見事な花を咲かせるので、地元住民にはごく身近な花見スポットとして親しまれている。  ところで「津」とは港、港町を意味する言葉だ。牟呂大海津公園は三河湾から三キロメートルほども離れた位置にあるが、その名が示す通り、かつては

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【愛知県の皇室伝承】6.南朝の天皇説も… 東下りの果てに切腹した謎の皇族「弘仁太子」(豊橋市)

謎の皇族「弘仁太子」伝説布金山長慶寺  愛知県豊橋市の南西部、杉山町孝仁というところに、布金山長慶寺という曹洞宗の寺院がある。皇室ゆかりと伝えられており、本堂の壁や賽銭箱には皇室の象徴「菊花紋章」があしらわれている。 「長慶寺」という寺号からは南北朝時代にご在位なさっていた人皇第九十八代・長慶天皇をつい連想してしまうが、寺伝によれば関係があるのはそれより百五十年ほど前の鎌倉時代にご在位なさっていた第八十三代・土御門天皇の皇子――ただし『皇統譜』には記載のない――であるらし

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【愛知県の皇室伝承】1.「大友地区」地名起源譚:大友皇子生存伝説 in 三河国(岡崎市)

1.岡崎市の大友皇子伝説 ※大友皇子は、明治三年(一八七〇年)に第三十九代人皇として「弘文天皇」の諡号を贈られているが、この記事では探訪地「大友」の周辺において支配的だった「大友皇子」の表記を基本的に用いることにする。 「大友」地区  第三十八代・天智天皇の崩御後、皇位継承をめぐる内乱――壬申の乱――が勃発した。この骨肉の争いの敗者とならせられた大友皇子は、今となってはどこにあったのか不明な「山前」なる地において縊死されたといわれる。 『日本書紀』に曰く、「走りて入らむ

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フランス王家の末裔を名乗る謎のインド貴族「ブルボン=ボーパール家」

File:Balthazar I of Bourbon - Prime Minister of Bhopal.jpg©Thubten Namdrol(CC BY-SA 3.0)を改変して作成 はじめに ブルボン家。かつてのフランス王家である。世界史上有数の名門であり、いくら歴史に疎い者でも、おそらくはハプスブルク家やロマノフ家とともにその名くらいは知っていることだろう。  「太陽王」ルイ14世、ヴェルサイユ宮殿、フランス革命に斃れたルイ16世など、フランスの歴史的王朝とし

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【愛知県の皇室伝承】2.歴史書にない文武天皇の「三河行幸」伝説:夭逝した皇子「竹内王子」編(豊橋市)

文武天皇の「三河行幸」伝説 奈良時代に成立した歴史書『続日本紀』に、「太上天皇幸参河国」という記述がある(大宝二年十月十日条)。  第四十一代人皇・持統天皇におかせられては、皇孫の軽皇子(=文武天皇)にご譲位なさって日本初の「太上天皇(=上皇)」になられた後の大宝二年(七〇二年)、三河国まで御幸なさった。それゆえに、三河国には持統上皇が関わる伝説がまさに山のように残っている――が、今回はその話ではない。  持統天皇から皇位をお受け継ぎになった文武天皇だが、この帝に関しては

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