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【愛知県の皇室伝承】2.歴史書にない文武天皇の「三河行幸」伝説:夭逝した皇子「竹内王子」編(豊橋市)
文武天皇の「三河行幸」伝説
奈良時代に成立した歴史書『続日本紀』に、「太上天皇幸参河国」という記述がある(大宝二年十月十日条)。
第四十一代人皇・持統天皇におかせられては、皇孫の軽皇子(=文武天皇)にご譲位なさって日本初の「太上天皇(=上皇)」になられた後の大宝二年(七〇二年)、三河国まで御幸なさった。それゆえに、三河国には持統上皇が関わる伝説がまさに山のように残っている――が、今回はその話ではない。
持統天皇から皇位をお受け継ぎになった文武天皇だが、この帝に関しては持統上皇のように三河国に行幸なさったという確かな記録が見当たらない。だが、どうしたわけか東三河には、実際には無かったのではないかと思われる文武天皇の「三河行幸」に関する伝説が数多く残されている。
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愛知県豊橋市の北東部に、下条という地名がある。「上条」「中条」「下条」と表記する地名は全国各地に数多くあるが、それぞれ「じょうじょう」「ちゅうじょう」「げじょう」と読む場合は、律令時代の条里制との関連が深い、かなり古くからのものだと考えられるらしい。
おそらくは豊橋市の下条もそのような土地の一つなのだろうが、今に残る地名伝説によれば、この地の由来は条里制とはまったく関係がないという。伝説によると、文武天皇が三河に行幸なさった際に、この地で牛車をお降りになったことから「下乗」と呼ぶようになり、後に表記が「下条」に変わったとのことである。
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