型破りのチャレンジャー!「大仏建立」に奔走した行基菩薩
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前回の記事に引き続き、「大仏建立」に焦点を当てた日本史のお時間とさせていただきます。
※前回の記事はこちら!
みんなが知っている奈良の大仏。
その建立の背景には、度重なる天変地異や政権の乱れ、疫病などの問題がありました。
特に、国民の三分の一が死亡したと言われる天然痘の脅威はすさまじく、為政者の聖武天皇が深く悩まれ、仏教による救済を志したことも理解できます。
今回は、聖武天皇が国家安寧の悲願を成し遂げるにあたり、「大仏建立」の実質的な責任者に命じたとされる僧・行基についてご紹介したいと思います。
行基とは?
行基は、飛鳥時代から奈良時代にかけて活躍した僧侶で、大仏建立の実質上の責任者です。
聖武天皇から大仏建立への勧進を依頼され、勧進以外にも、建立に至るまでを取り仕切ったと言われています。
行基に白羽の矢が立った背景には、当時の行基が、民衆から圧倒的な支持を得ていた、という背景がありました。
実は、当時の仏教は、民衆への直接布教が禁じられていました。
ところが、行基はその禁を破って、民衆や豪族など幅広く布教活動を行っていたそうです。
そのため、聖武天皇の前の元正天皇には僧尼令違反とされ、「小僧」(つまらない僧)として、糾弾されています。
行基は朝廷からの弾圧・糾弾には一切屈せず、民衆からの圧倒的な支持を受けて、その都度逆境をはねのけていきました。
今考えると、朝廷の許可がないと布教してはいけない、というのもおかしな話ですものね。
行基の大衆布教のきっかけ
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