「わたしが死なねばならないとしても」(『物語ることの反撃―パレスチナ・ガザ作品集』より)
今年の試みの一つとして、読書や映画鑑賞など、日々の学びの中から、皆さんにシェアしたいと思ったことを自由に書いていきたいと思います。
第一回目は、年末年始に読んだ本の中で、最も記憶に残った本をご紹介したいと思います。
「物語ることの反撃―パレスチナ・ガザ作品集」(リフアト・アルアライール編)
今もなお戦争状態にあるガザ地区。
私たち日本人からすると遠く離れた土地にはなりますが、この地で紡がれた短編集が、日本語に訳されて上陸しております。
「物語ることの反撃」と題名にある通り、ガザに住む彼らが、戦争状態の中、実際に体験した悲劇を物語ることで、静かなる抵抗を進めているのです。
物語の多くは、編者のリフアト・アルアライール氏の元、文章力を磨いてきたガザの若者たちが、英語で短編小説を書いた形。彼らの多くはブロガーとして、SNSでガザの現状を綴る活動に出ているそうです。
事実は小説よりも奇なり。
そんな有名な言葉もありますが、本作は彼らが実際に体験したことを、短篇小説という形で後世に残そうと試みた作品のため、ほぼほぼノンフィクションといってもいいかもしれません。
編者のリフアト・アルアライール氏はすでに空爆によって亡くなってしまったそうですが、
自分達が実際に体験したことを、文章という形で世界に発信することで、ガザの現実を正しく知らしめよう、と活動されていた方のようです。
ブログやSNSを駆使し、世界公用語である英語で作品を書き上げる、という点からも、並々ならぬ気合の入り方を感じます。
本書の内容はもちろん、人の死に関わる内容(実体験)が沢山出てきます。
ガザ空爆による死者・負傷者の様子はあまりにもリアルで生々しく、目を覆いたくなるほどえげつないものです。
感情移入しすぎてしまうと本当に苦しくなってしまうような作品群ですが、世界で起こっている現実を、実際の体験者から知る一次資料としては、またとない良書なのではないかと思います。
人はどうしようもない事態に直面した時、文章を綴ったり、何らかの作品を通して、自分の気持ちを伝えようとすることがあります。
そして、そこに必死の念いが載っているからこそ、国境を越えて、他の人の心に響きます。
お会いしたこともない方々の綴られた体験談でしたが、私も同じ人間として大きな衝撃を受けましたし、「自分だったらこの場合どうするのだろう?」と判断に困るシーンも沢山出てきました。
子どもが一人取り残されたまま、家が火で燃えてしまったらどうするか。
一緒にいた友人が一瞬にして亡くなり、自分のみ生き残った場合はどうするか。
建物の倒壊によって半分生き埋めになり、助けが来るまで携帯の電池がもたない、と感じた時どうするか。
考えただけでもゾッとするような内容。でも、これがきっと現実なのです。
今の日本に生きている身として、私にできることは一体何だろうか?
空爆に追われ、生命の危機を感じながら生きなくて済む国。
命の継続に一瞬一秒を争う紛争地域の方々からしたら、羨ましいほどに快適な環境に生きている。
にもかかわらず、私たちはあまりにも物事を浅く考えすぎてはいないだろうか。
人は、物語ることで、世界に想いを届けることができる。
その並々ならぬ情熱を深く感じた本書と出会えたことに感謝。
文章を読み、綴ることを得意とするnoteの皆さんにとっても、世界の現実に目を向け、新たな気づきとなるであろう、おすすめの一書です。
「わたしが死なねばならないとしても」(詩)
わたしが死なねばならないとしても、
きみは生きねばならない
わたしの物語を語って
わたしの物を売って
ひときれの布と
いくつかの糸を買えば、
(白い布に長い尾をつけるといいよ)
ガザのどこかにいる子どもが――
目に天国を映して
炎のなか去った父親を待っている
誰にも別れを告げず
自分の体にさえも
自分自身にさえも別れを告げずに去った父親を待つ子どもが――
凧を見て、きみが作ったわたしの凧が空高く舞うのを見て
ほんの一瞬、それは天使で、愛を伝えに戻ってきたのだと思ってくれるから
わたしが死なねばならないとしても
それが希望を伝えるものとなり
ひとつの物語となるように
【リフアト・アルアライール作】
(「物語ることの反撃―パレスチナ・ガザ作品集」より)