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阿含経講義 念根3 瞑想技術を使った実践修行

このnoteは仏陀の説く実際の修行法である七科三十七道品の1科、五根法のうち、念根という修行法について説明する第3段です。
おそらく一般的には念根という修行法は瞑想だと説明している学者さんが多いのではないかと思います。
そうではない、というのがボクの主張です。
念根という修行法の本当の目的は、経典の言葉を借りて言えば【世間の貪憂とんうを調伏】することです。
その手段として瞑想法の技術があります。

また阿含宗開祖は、念根は念力を高める修行法であると書籍で述べています。しかしながら、具体的にどうやって念力を高めるのかという方法は書籍に記載はありません。
教団の中枢にいる方々は阿含宗開祖から口頭指導を受けているのかもしれないけれど、末端の雑魚キャラ会員は自分の頭で考えて実際に試行錯誤するしかありません。
そうして色々と実際に試行錯誤していく中で、なるほど、これは確かに念力を高める効果があるとボク自信が実感した事柄があります。
結論を言えば、念根の本来の目的である 【世間の貪憂とんうを調伏】 するという行為を瞑想技術を絡めて実践すると、気づけば念力が強くなります。

前提条件は信根

ここから先の念根の実践は、神仏の存在を認めて信仰し、また神仏からも一定の信用・信頼を得て、相互の信用・信頼関係を築けていることが大前提です。これは五根法の解説の最初に「信根」として取り上げました。
ですので神仏なんて存在しないよ、瞑想テクニックだけ知りたいんだよ、という人は、ここで脱落です。

ということで、本当の神仏の力は存在する!という前提で話を進めていきます。

メカニズム概要

仏陀の霊力を借りることが必須

実践では、阿含宗が成仏力と呼称する仏陀が放つカルマを断ち切る力を持つ霊的エネルギーを用いて、瞑想技術を使って色々します。
仏陀になるということは人間のカルマを断ち切って、俗世の人間とは次元の異なる霊的進化を遂げた存在になっただけではなく、他者のカルマを断ち切る力も有しています
この霊力を借りることが必須となります。

学者系の方たちの語る仏陀は、他者を救う力を持つ存在としての仏陀に言及していません。なぜなら、霊能力は科学ではないので、学者さんには述べることができないからです。
しかしながら信仰の現場にいる自分から言わせれば、神仏に等しい力を行使して他者を救う力を持たない者は、そもそも仏陀にはなれません。
また、近年流行しているマインドフルネス瞑想をすれば仏陀になれると書いている人がいますが、あまりにも理解度の次元が低すぎて論外です。

実践の全体の流れ

実践方法について具体的な流れです。
まず、救済が必要な人たちや、霊的に浄化したい土地を選定します。阿含宗では各地域の会員信徒が各地域で地域の浄霊成仏の護摩法要を行っていますので、それを事例として説明します。
その地域の供養対象を事前にちゃんと御本尊様にお伝えして、霊的浄化をする対象の土地に実際に御本尊様を持っていて、成仏力が宿った特別な炎を使って護摩法を行います

法要開始時刻になると、御本尊様や曼荼羅をめがけて、どーーーーんと巨大な霊力が降りてきて周辺が特殊な霊力で満たされます。
つづいて、
護摩の炎の中に仏陀が顕現する
地域の天神地祇が呼ばれてお護摩の炎に中に入って、地域の天神地祇自身の積年の穢を祓い、地域を守護する天神地祇としての神力を増幅する
供養の対象となる人々の霊魂がお護摩の炎に飛び込んでいき、次々と成仏していく

1回の護摩法要は30分もかからないけれど、この短い時間の間に、こういう事が起きています。
これが 【世間の貪憂とんうを調伏】するメカニズム、基本のプロセスです。

霊力の存在を知るということ

強力な霊力が、どどーーーんと降りてくるというのは、もはや、すでに当たり前となったボクの感覚です。
密教の護摩法要は、ひらたく言えば召喚魔法で、儀式の中で神仏を勧請、お願いして来て頂く手順があります。しかしながら現在のボクの感覚では、その勧請の儀式をした時点で降りてくるのではなく、概ね時間厳守で神仏が勝手に降りてきます。
法要の前に、事前に御本尊様に対して、いつ、どこで法要が行われるのかという事は申請、説明済みですし、依代となる本尊や法具が現地にあるのですから、向こうからすれば容易に場所がわかるのだろうとボクは考えています。

また、なぜ救いを求める霊魂が護摩の炎に入るかというと、阿含宗の護摩の炎そのものにカルマを断ち切る霊力が宿っているからです。
ボクは見えないけれど、見る能力のがある阿含宗会員信徒の方が霊魂が護摩の炎に飛び込み成仏していく様子を時々語っています。

仏陀は護摩を焚かなかったのだから護摩を焚く阿含宗はイカサマだと主張する人がいるそうだけど、それは霊能力を持たない人の主張です。
霊眼や霊感があれば、護摩法要の重要性は一発でわかりますよ。

阿含の星祭りの護摩壇

この一連の活動について、2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に便乗して、神奈川県湘南・鎌倉地域での実際の活動のまとめを書いておりますので、よろしければこちらも参照ください。

念を高める実践方法

【世間の貪憂とんうを調伏】するためのひとつの方法が、本当の霊力を持った本尊と護摩の炎を揃えて護摩法要を行い各地域の霊的浄化をすることだと、救いのメカニズムを含めて説明しました。
でも、実際の念を強くするための修行は、この日に至るまでの数日間に渡る準備の時期に行う瞑想にあります。
これは一種の瞑想であると同時に、仏陀の成仏法の修行の実践でもあります。

止観の瞑想技術

まず止観の瞑想の「観」の技術を使って、脳内の瞑想空間を拡げます。
阿含宗開祖は宇宙を瞑想すると言うけれど、ボクは遠くに水平線が見えるような空間です。がんばって空の高さもイメージして、また大地は遥か下方にあり、後方にも空間は拡がっています。

その空間内に、阿含宗の御本尊様、霊力の宿った護摩の炎を顕現させます。この顕現させて空間に留める技術は、止観の瞑想の「止」の技術となります。

そして広い空間を維持したまま、その空間内に本尊と護摩の炎を固定します。止観の瞑想の「止」と「観」の同時展開ですが、瞑想実践を開始して経験が浅い人にとっては高難度だと思います。

供養対象と護摩木をリンクさせる

そして、その空間内に、事前に地図等を見て調べた供養の対象地域をイメージして、脳内の瞑想空間に重ね合わせます。今の時代ははグーグル・マップなどで衛星写真が見れますからイメージしやすいと思います。
また、その地域の救いたい人達の群衆をイメージします。対象となる人達は、その法要ごとに異なります。
このイメージのときに、護摩木という法具に供養対象や地域を書いて呼び寄せてリンクさせます。木片に名前を書いただけで効果があるの?と思うのが普通だと思いますが、「書いたら来るに決まってるでしょ」と見える人に言われました。そういうものらしいです・・・
また対象地域や人々の事を思って頑張ってイメージする!という行為そのものが一種の瞑想修行です。だから、そのためにはその地域や人々の事柄、地域の歴史について学ぶことは必須であると、ボクは考えています。

仏光観の技術

次に脳内の瞑想空間にある対象地域と群衆に対して、御本尊様に依頼してカルマを断ち切る霊力を持った光を放ってもらいます。この霊力の光で地域の霊的浄化を行い、人々を成仏させるのだ、という強い信念を持って、瞑想のイメージを行います。これは仏光観という瞑想技術です。
その人達や地域をイメージしつつ、あるいは護摩木を通して光を届けます。

火生三昧の技術

またカルマを断ち切る霊力を持った護摩の炎で瞑想空間全体を満たし、地域の悪因悪業、供養対象の悪因悪業を焼き尽くすという強い信念を持って瞑想イメージを行います。これは火生三昧という瞑想技術になります。
その人達や地域をイメージしつつ、あるいは物理的な護摩木を脳内に現出させて、脳内の護摩の炎で燃やして間接的に供養します。

入我我入の技術

ときには自分自身と神仏を同化して、自分自身が神仏になったという体裁で地域や人々に霊力を送り込むこともあります。この神仏と自分自身を同化するという行為は|入我我入《にゅうががにゅう》という瞑想技術です。
もちろん、ここでも護摩木を使用します。

導引気功の技術

光を届ける、炎で満たす、霊力を送り込むという部分では、導引気功の訓練で獲得した呼吸法と気を動かす技術が必要となります。イメージだけでできる方もいるかもしれないけれど、ボクの場合は、呼吸も必要な場合が多いです。気づけば無意識に呼吸法を使っています。

本物の霊力を持つ存在と霊力の宿る本尊と法具

これらを実行するためには、本物の霊力を持つ御本尊様や仏具、法具が物理的に目の前に存在することが必要です。なぜならば、その御本尊様や仏具、法具が発する霊力も脳内の瞑想空間に取り込んで、脳内の瞑想空間に展開するからです。
物理的存在の本尊が発する霊力を脳内の瞑想空間に取り込む?どうやって?
それは・・・うん、頑張れば、できるようになりますよ!

重要なポイントは、自分の力で救うのではなくて、神仏の力を借りて行うということです。
神仏の力を借りるためには、自分と神仏の間に、いくらかでも信用信頼関係の構築ができている必要があります。
信用できない人間に、神仏は力を貸してはくれません。
だから自分が一方的に信じるだけではなくて、神仏からの信用信頼を得ることも修行のひとつであると信根その他でボクは説明しています。

他者の為に祈る実践を継続する

これを法要当日まで数日間に渡って、本気で信じて実行します。こういう事を何度も実践していると、少しずつ瞑想のイメージ力が向上し、即ち念力が強くなります
またボクが実践で気づいたことなのですが、この念力は、自分や家族が対象の場合はあまり強くならず、自分とは縁が無さそうな不特定多数の人々が対象の時に非常に強くなります。対象の規模が大きくなれば、それだけ必要となる霊力も多く必要になるはずなので、必然的に念力も強くなるのだろうと理解しています。

このようなわけで、阿含宗開祖が言うところの念根の修行によって念力が強くなるとは、地域や多くの人々を対象として霊的浄化をして悪因悪業を断ち切るための瞑想を本気で継続することによって次第に自分自身の念力が強くなることを述べている、となります。

いくつか記載した技術用語は、ここでも説明しています。

最後に

なんだ、そんなことか、つまらない妄想だな!と思うなかれ。

練習の結果としてそこそこレベルの瞑想技術を獲得し、練習の結果としてそこそこの導引気功の技術を獲得し、修行の成果として神仏の霊気を感じる霊感を獲得した人間が、これまでの瞑想や導引気功の技術の知識と技術、阿含教学の縁起の法、本物の神仏の霊力、これらを組み合わせて本気で実践して得たところの知見です。

これらの内容は、阿含宗の中枢にいる偉い方々も実際に行っている事柄と思われるけれど、彼らは立場があって語れない。また最前線で頑張っている人の中には語れる能力者もいるかもしれないけれど、年配者が多くてIT技術に疎くて対応できないし、やっぱり縛りがある。
だから、このようなコアな内容はボクのような無位無官の末端の雑魚キャラ会員信徒だからこそ語れます。

これならできそうと思った他宗の僧侶さんへ

ところで、これを読んでくれた他宗の僧侶さんの中には、これなら自分でもできるし、自分のほうが上手にできそうと思われた方がいるかもしれません。

ボクとしては、そういう方がたくさんいて欲しい。

ボクよりも、遥かに強い信心の心があって、瞑想技術もずっと高いという人は大勢いらっしゃるはずです。

でも本当の霊力を持った御本尊様がない。
本尊はあると思っているかもしれないけれど、その御本尊様は、本物の仏陀の御聖骨・真正仏舎利尊とはリンクしていないですよね?
だから実力、才能、信心がボクより遥かに凌駕していたとしても、本物の霊力を持った御本尊様が無いから、本当の意味での実践ができない。

でも僧侶として実践したい、そんな想いを持ってくれる僧侶さんがいるかもしれないので、そういった方向けのnoteを続きとして書く予定です。

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