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『親といるとなぜか苦しい 「親という呪い」から自由になる方法』リンジー・C•ギブソン 岡田尊司 監訳 岩田佳代子 訳 感想

コーチングと私を育むを両立させようとしているなほです。
有償でコーチングを提供するに挑戦中です。

この本も『母という病』『父という病』と一緒におすすめしてもらった本です。

他の2冊よりも易しく書かれていて、読みやすい本だと思います。

より詳しいのは先の2冊なので、やっぱり3冊読むことで補完されると思います。
読書にハードルのある人は、この本から入るのが良いかもしれません。

『親といるとなぜか苦しい』リンジー・C•ギブソン 岡田尊司 監訳 岩田佳代子 訳 感想
東洋経済新報社 ¥1500+税 2023年

この本は、おすすめされる前に私は出会ったことがあって本屋さんに平積みされていたのを買おうか迷った本でした。
手にとってパラパラは見ました。

ペンギンの表紙を見て、「あ、この本迷ってた本だ」と気づきました。

ペンギンちゃん、かわいいなってあまり深く考えていなかったけれど、女の子と体はくっついてるけど、目線は合わないんだよね。こんなに近づきたいって思っているのに。
それが何だか悲しいというような感想を読了してから見かけて、

裏表紙見たら、2人が手をつないで見つめ合っているような感じになっていて、距離は少し離れたけれど、それによってお互いをみられるようになってる感があって、何とも言えない気持ちになりました。

当時はタイトルに引っ掛かって買おうかどうか悩みました。

けど、この本を買って家に持って帰る勇気がありませんでした。
母親と同居していたからです。後ろめたい感情がありました。

親といると苦しいとまでは思っていませんでしたが、息苦しさを感じていました
単純に生活リズムを合わせたり人と暮らすことの煩わしさ以上のものを感じていました。

また、それを認めることは私が親との関係において不幸だと認めるようで拒否したい気持ちもあったのかもしれません。
 

2回出会った本は読む、が私の読書ルール
でおすすめしてもらったということは、私にとって必要な本だったのだと思います。


親という存在に対する社会の固定観念

これを私はこの夏に手放したばかりで、それを肯定してもらったと感じて印象に残りました。

・子どもは親を大好きだ
・子どもは親を支えなければならない

親を客観的に見ることが出来たことも大きかったと思います。
これは自分1人で出来た訳ではなくて、人から客観的に伝えてもらったことで私と親の関係が分かったことで、客観的に見るを許容できるようになった、と思います。

子どもの立場を自分で進んで早くに手放したことや、そんなに好きではないかも、というか嫌いかも?
家族愛はあるけれど、私にとって特別な存在ではなくて、親戚のおばさんくらいの距離感を選びたい、と結論づけました。

子どもの立場を早くに手放した

というのは、私がしっかりして母親を支えるという立場を選びました。親子が逆転したような立場です。

今は、もう母親を年齢的に支えるが社会的には期待されるのだろうけれど、意識的に「母親の母親をやっていた私」を完全にはその役割を降りられなくても小さくしようと思っています。

子どもの立場を早くに手放したは、家庭内の不和によってそうしたのかと思っていました。
けれど、本書によると「精神的な孤独」を解決するために「自立することを考える」、「自分の気持ちよりもまず相手のニーズを優先することを学ぶ、相手を助ける役割を率先して引き受け、自分には精神的に求めることなどないと周囲に思わせてしまう。」

と書かれてて、優等生をしていたのは、相手のニーズを満たすことそのものだし、精神的な孤独を解決するために、親を助ける役割を選んでいた

と書かれていて、納得してしまいました。
子どもの私は孤独感を感じていたからです。

親に伝えない

一番インパクトがあったかもしれません。
私は、親に私の気持ちを少しでも分かって欲しいと思っていて、実際に言えるかどうかはかなり難しいと思いますが、

子どもの頃の私は愛されていなかったとは思わないけれど、孤独感を感じていて、大人になった今も最近までずっと子どもの私が抱えていた寂しさについて悩んでいて人間関係の作りづらさの原因だったと話したいと考えていました。

話したら親はショックを受けるだろうことは予想できますが、その上で当時の親がどう感じていたのか、孤独感を感じさせようとは思っていなかったと思うので、親の目からはどんな風に見えていたのか何を大事にしていたのかを聞きたいと考えていました。

私の目から見た、私が振り返ると「孤独感が募る景色」も本当はそうではなかったかもしれない、と思うからです。

しかし、本書では伝えないように書かれています。

親に対する自分の考えを彼らには伝えないこと。親は、子どもが本書から何を学んだかも、自分たちはどうすべきかも知らなくていい。

p57

あくまでも親を客観的に見られるようにすることが目的だと説かれていて、それによって責めることではなくて、理解することの重要性が訴えられています。
そうすることで、自分自身を認め、精神的に自由になれる、と。

親を精神的に未熟な存在であると仮定して、いくつかの分類に分けられています。

私がしようとしていた親に伝えて、分かってもらう。
そして、当時の私を親の視点からどう関わっていたのかを聞いて捉え直したいというのは、おそらく不毛なことだと考えられているのだ、と理解しました。

あくまで親の考え方を改めさせたり、子どもを理解してもらうということを目的にしてもうまくいかないことが多いのだろうと感じました。

私の実感として、本当に助けて欲しいと思っているのにそれが伝わっていないな、孤独だなと感じることはわりと最近でもありました。
子どもの頃に「助けて欲しいのに助けてもらえなかった、頑張っていることを理解してもらえなかった」という感覚は、
今も別の状況だったけどやっぱり助けてもらえないと思っていたから、
分かってもらうことはかなり高度なことを要求しようとしているのかもしれない、と思います。

大人になった最近の助けて欲しかったは、私が「母親の母親の役割」をばりばりやっていたので、子どもの頃と同列にするのは違うかもしれないし、私も助けて欲しいって泣きわめいた訳ではないので、平気そうにとられていかもしれません。
私は限界なのに、もうちょっと頑張れないのか?みたいな対応をされた時に、こんなにも頑張ってきたのに無理だよって思ってしまいました。
そして、伝わってないんだなって思いました。諦めを覚えました。
そこで、限界なんだよって説明することを選ばなかったです。

精神的に未熟な親との関わり方ではなくて自分に焦点を当てて親を客観視することで、生きやすくなろうというのが本書の主旨であると思います。

親に変わってもらう、分かってもらうは基本的に望んではいけないのかもしれません。望みたい、けれど今さら甘えられるのかというと、それも微妙だし、すっぱり諦めた方がお互いに良いのかもなと思います。

ヒーリング・ファンタジーと役割としての自己

これ、簡単なワークがあって実際にやってみましたが、自分がどういう自分であったのかがとても分かりやすかったです。

ヒーリング・ファンタジー

子どもがいつか幸せになれるという物語を作ることを、このように呼んでいるそうです。

私の書いたヒーリング・ファンタジーが
「無条件でありのままの私を見て、愛して欲しい私」に要約されて、

甘えたいとか構って欲しいもあるけど、愛されているって感じたかったんだなぁって思いました。
子どもの私に対して悲しい、かわいそうっていう感じはなくて、
冷静にそうだよね、そうだったよねって言える感覚があります。前とは変わってきているに気づきました。客観的に見られる。

頑張っていなくても愛されるが欲しかったんだなぁって思いました。

寂しい・孤独っていうのが見受けられない。

少し前までは、寂しくて助けて欲しいの方が私の中では子どもの私を見ると、大きくて愛されたいってあまり意識されていなかったです。
セラピーのおかげなのでは??寂しいを終わらせるをやりました。


最近の私は、人から愛をもらっているのは分かるけれど、人に私が愛を渡せるというのはうまく認識出来ていなくて、愛されたいっていうのも見ないようにしてきたんだろうなって思います。
当時の私よりも「今の私」が愛を自分のものとして分かるようになりたいの方が強い気がする。すごく良い傾向だと思います。

子どもはよく、悩みや精神的な孤独を解決するには、自分や他者を何か別の存在に変えればいいと考える。したがって、どんなヒーリング・ファンタジーも「〇〇でさえあれば」という話になる。

p141

ヒーリング・ファンタジーを手放すことが書かれていて、これはすでに私はやっていると思います。
近しい人に対する向き合いたくない感情と向き合わざるをえなくて、その感情は「怖い」と「嫌い」と書かれていました。

「怖い」は、向き合うのが怖くなってしまっていた寂しい・孤独な一人ぼっち感を感じていた私で、セラピーで向き合ったし、
「嫌い」は、母親のことは家族としての愛はあるけどっていう所で向き合ったと思います。

役割としての自己

優等生になろうとして、親の期待にこたえる私でいたのは、

まさに勉強ができる私、何かに努力している私になれば受け容れてもらえる

という私の「役割としての自己」だったのだと理解しました。

親に「ありのままの自己」と向き合ってもらえないと、無意識のうちに身につけていくものが、「役割としての自己」。

相手の反応をみながら、少しずつつくり出し、それが自分の居場所を手にするいちばんよい方法だと考えている。その結果大人になっても、かつて親に対してそうであったように、だれかに関心を持ってもらいたいという願いを持ったまま、役割を演じ続ける傾向がみられる。

p144

すごく分かる、ってなりました。
ありのままの私のことを受け容れて欲しいって思っていて、けれど拒否されるって思っていたから、仕事ができる私、責任感のある私を作っていたという意識はなかったけれど、そうあらねばならない、仕事が出来ない私に価値を見出すことは出来なかったです。
親子関係を見ていくとすべてが説明されるというか、つながっていて、しんどさを感じていたことのほとんどって全部を親のせいにするのは違うけれど、何らかの影響があちこちに散見されていると思います。

困った親に対応する2つのスタイル:内在化タイプ

私はこれに当てはまっているとすごく感じました。
もう1つのタイプが外在化タイプです。

学ぶことが好きだ。内省し、自分の間違いから学ぼうとすることで、問題を徹底的に解決しようとする。
人生はみずからを成長させる機会ととらえ、楽しみながら自分の能力を高めていく。
がんばれば、ものごとをよりよくできると信じ、自分の問題は本能的に自分で責任を持って解決しようとする。

p151

ほぼ私のことだ、と感じました。
学ぶことが大好きだし、内省するのも普通だし、成長したいし、楽しみながらもそうだし、基本的に自己解決の道を探ります。

内在化は、自分の中ではすでにもう限界を迎えていても平静を装い、黙って苦しんでいることがある。まわりに援助を必要としていることが伝わらない場合が多い。

p154

これも分かり過ぎるってなりました。
ストレスで胃の調子が悪くなっている時に、同僚から「ストレス全然なさそうに見える」って言われて、かなりメンタル的に限界だったので、私のこのしんどさって全然伝わってないんだなって思いました。
見るからにしんどそうにはしていなかったですが(看護師だったので患者さんの手前そんな空気を出すことは出来なかった)、何かそこまで伝わってないのも複雑でした。

依存

これ、私の中でキーワードになってきてるからなのか、よく出会います。

内在化タイプにとって大事なのは、精神的なかかわりを求める本能的な欲求を前向きにとらえること。自分は愛情に飢え過ぎているだとか、依存している、などと考える必要はない。

p180

そうは言ってもよく分からないってなっています。
けど、精神的に満たされるようなつながりが欲しいのは確かでまだ前向きに捉えることは出来ていないのが私の現状です。

依存しやすい人間だと認識しているし、人に受け容れてもらいたいが強い人間だとも理解しているから、「依存じゃないのか」ってすごく考えているのが最近の傾向だなと思います。

特にすでにある関係の人とはそんなに距離感に悩みませんが、新しく自分から作った関係の人との距離の取り方がよく分からなくなっています。どこまで近づいて良いの?ってなってることがあります。
今まで積極的に自分から人との関係を作ろうとしていなかったから、こんなに悩むことはなくて、今は作ろうとしているから悩んでいるのだと思います。

受け容れてもらえない設定だったら、そもそも依存になる位に近づこうとはしないから今まで問題とならなかっただけなんだな、と書いてて気づきました。
今は、人とあたたかい関係を作るって思っているから自分から距離を縮めようとするし、その頻度が上がってきているから、見えるようになった課題。
近づいて拒否されるかもしれないっていうのも少しはまだ思ってそうだなと思います。

頼れないのも内在化タイプ

本当に何でも親子関係で説明してしまうのは、どうなのかという気持ちもありますが、そうなんだよねって思うので書きます。

「助けてほしい」が言えない。
自分のために時間を割いてもらうなど申し訳ない。

分かる、めちゃくちゃ分かる。私のために時間を割いてもらって申し訳ないは、本気でそう思ったことがあったので、うなずきしかない。

自分は助けてもらうに値しない。

って書いてあって、そうか、そこにつながっているのかと前にも思ったことがあって自分が分かった感じです。何も相手に返せるものがないという気持ちは、自分にそんなに価値がないと思っているにつながるんだって言われると納得。お金とか分かりやすく返せるものがあれば頼れます(笑)

成長しても、万事1人でやらなければという思いを持ち続け、1人でやることに慣れてしまう場合が多々ある。
大人になってかんたんに助けを求められるようになっても、どう頼めばいいのかがわからない。

これも納得しかない。基本設定がまず1人でやってみるだし、1人で出来ることが何よりも大事。助けてもらう、頼るのが苦手な上に、1人で何とかしなければは強いから、余計に人に頼れない。
で、限界を越えているのが周りに伝わらない。見事に私の自滅パターンの集合体です。

自己犠牲のレベルが不健全なレベルにまで追いやられることがある。
おそらくこれのせいもあってメンタルダウンしちゃったのかもしれないな、とも言えそうです。

全力でがんばらなくていい

めちゃくちゃどきっとしました。
なぜなら、何事も全力で取り組むことを良しとしていて、今だってコーチングに全振りしていますって毎日書いていたのが、私だからです。
そして、少しペースダウンしよう、疲れてきているを感じています。

「全力で何事もやる」を手放そうとは意識しています、最短距離を走ることだけが良いこと、それをやることに同意できなくなってきている私がいるからです。
走り続けることは出来なくて、歩く・休憩するが必要だと思っています。

書いてみると、これは振り子が振れてたが起きてると思いました。
早めに休むこと、歩くことが大事だって以前も書いているはずですが、それを忘れてまた最短距離を行こうとしてたな、の気づき。

内在化タイプは自分を大切にしないことが多い。自身の健康をかえりみなかったり、必要な休息をなおざりにしたりする。

これは、痛い目を見ているので今は気をつけています。健康、損なってからでは遅い。
看護師をしていても実際に損なったことで学習しました。
医療者が自分の健康を省みないのはよくあることかもしれませんが、私はまともに眠れない、胃の調子が悪くなる、しかも2年連続で胃カメラのむことになるとは思っていませんでした。

「親の温かさ」に期待しない

 あなたのなかにいる「内なる子ども」はいつでも「親が変わってくれて、自分がずっと望んできたものを与えてもらえる」と期待する。
 だが、あなたがすべきことは、大人としての自分の考えをしっかりと持ち、独立したひとりの大人として親とつき合っていくことだ。

p243

親に期待するのを諦めるはすでにやっていて、けれど時々やはり私のことを理解して欲しい、愛情を与えて欲しい私も出てきているのが今の状況かなと思います。
けれど、物理的に距離を取ろうと決めて1人暮らしをすることで日常的に関わらなくなったことで生きやすくなったと思います。

親に期待しない、って言葉で見ると冷たいようにも思うけれど、親だって完璧な人間ではない。だからこをお互いにとって気持ちの良い関係を維持するためには最良の方法だと思います。

本当に親に何かを望んでいるのは今の自分なのか、それとも、かなわなかった子どものころの望みに名残なのか。

とも書かれていて、これはきちんと考えて分けないと自分が苦しくなるもとだと思いました。
私の場合は、子どもの私が望んでいるが断然大きかったと思います。

まとめ

自由になる方法についてもしっかり書かれているので、今回書いた感想にはそちらについてはあまりふれませんでしたが、私にはたくさんの自由があって、心からそうすることが出来ると、「親という呪い」から自由になれると思います。

少しはこの本を読む前から私は親との関係や子どもの頃の私については理解があったし関係を意識的に変更しようとしてきました。
それは間違ってはいないし、今の私が生きやすくなるために、もっと具体的に言うと人間関係を作って幸せに生きるために必要なことだと思いました。

この本に書いてることを少しずつやっていきたい、と思いました。
今、私が関心の高いことの1つが「人に頼ること」。
1人でがんばるのをやめる
にまずは取り組もうと思います。それが手放せることは、助けを求められることだし、依存ではない頼るが出来る関係を他者と築けるだと思うからです。
まずは、1人でやらなきゃを手放します。


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なほ|ライフコーチ 好奇心がコンパス
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