一人旅 Episode-8 「幕末の長崎 坂本龍馬」
長崎の坂本龍馬
今日も快晴です。今日はずっと歩くぞー。
まずは、風頭公園にある「坂本龍馬像」を目指します。
地図で見ると、ホテルがある観光通りから近く見えますが、実際は標高差150M。
歩いて登っていくとかなり大変。
実際、多くの人は龍馬通りを登ってきます。
しかし、今日は一日中歩くので、体力温存のため、バスで公園まで行きます。
浜の町バス停から「50番 風頭公園行き」に乗って、約15分で着きます。
かなりの山道をぐいぐい登っていきます。
改めて、歩いて来なくてよかったと感じます。
サインボードを頼りに、風頭公園入口にたどり着きます。
「写真の元祖・上野彦馬の墓」の横を通り、
坂本龍馬像に到着。
ここから、長崎の町を眺めつつ、その先の海、そしてその先の世界を坂本龍馬は見ていたのでしょう。
「長崎はわしの希望じゃ」
司馬遼太郎「竜馬がゆく」文学碑をパチリ。
さて、次は、「亀山社中跡」を見に行きます。
何回も長崎に来ていたけど、いつも行けなかったので、念願かないます。
公園を通り抜け、サインボード通り進んでいきます。
途中で左手「亀山社中跡」右手「若宮稲荷神社」と別れます。
亀山社中跡に行くのですが、遠回りをしていきます。
そうすると、「若宮稲荷神社」「亀山社中資料展示場」「龍馬のブーツ像」が見れるからです。
若宮稲荷神社は、崎市内最大の稲荷神社で、坂本龍馬ら維新志士とゆかりの深く「勤皇稲荷」の別称をもちます。
境内にミニチュアの「坂本龍馬之像」が建立されているので必見です。
亀山社中資料展示場は、「亀山社中ば活かす会」が運営しており、坂本龍馬および亀山社中・海援隊のまつわる貴重な資料が展示されています。
土日祝のみ開館です。
龍馬といえば、ブーツ。
このブーツ像からの景色もとても良いです。
そうして、念願の「亀山社中跡」に到着です。
ああ、うれしや。
「海援隊」の前身となるこの亀山社中は、私設海軍と貿易業という二つの顔を持っています。
グラバー商会と銃器の取引を開始し藩に銃器などを卸したり、物資の輸送や航海訓練なども行い、1866年の第二次幕長戦争においては、長州藩の軍艦に同乗し、下関海戦に従軍しています。
龍馬も見たであろう感じで、外の風景をパチリ。
龍馬が好きな人はやっぱり来るだろうなあ。
そして、社中から山を下りていきます。龍馬が街に出る道(龍馬通り)を歩きます。
龍馬も歩いたんだなあ、という感慨深きで歩きます。
川沿いを歩いていきますと、石橋をいくつか通り過ぎ、有名な「眼鏡橋」にたどり着きます。
思案橋を抜け、丸山界隈を通り、「福砂屋」へ。
福砂屋は1624年、寛永元年の創業。
ポルトガル人よりカステラ製造を伝授。その原名はカストルボルという。
カストルとはスペインの州名、ボルは菓子の意味」とあります。店内も伝統を感じます。
福砂屋の看板(黒)は、こうもりなんですが、明治時代にこの形になりました。
カステラに使う砂糖など、当時、物資調達に重要な交流先であった中国では、コウモリは、幸運の印とされており、縁起が良いものということで変えたそうです。
大浦天主堂
国宝であり、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する文化財の1つである、大浦天主堂へ向かいます。
大した距離ではないのですが、鉄道オタクはあえて、路面電車に乗ります。
西浜町駅から大浦天主堂駅まで。
ブラタモリでは、次の終点「石橋駅」まで行き、スカイロードを使う方が坂を登らず、おりてくるだけルートになりますが、今回はオランダ坂にも行きますので、正式ルートで行きます。
大浦天主堂駅を降り、観光満載・グラバー通りを通ります。コロナの影響はあって、観光客は少ないです。
お店も一部閉まっておりました。
さて、キリシタンの歴史のフィナーレを飾る「大浦天主堂」です。
前にも一度来ています。しかし、今回は数々の教会を訪れた後ですので、感慨深いです。
他の教会と違い、ここは椅子に座れるので、座って歴史ガイドを聞きます。
大きく壮大です。包まれますね、やっぱり。
大浦天主堂横にある、2018年にできた「キリシタン博物館」は必見です。
私の今回のキリシタン学び総ざらいです。
テーマは「ワレラノムネ アナタノムネトオナジ」です。
1865年3月17日、浦上の住民数名が大浦天主堂を訪れた。
祈っていたプティジャン神父に、「イザベリナ(杉本)ゆり」という52歳の女性を中心とした3人の女性たちが近づき、「ワレラノムネ アナタノムネトオナジ」(私の宗旨はあなたの宗旨と同じです)とささやき、自分達がカトリック教徒であることを告白した。
彼らは聖母像があること、神父が独身であることから間違いなくカトリックの教会であると確信し、自分達が迫害に耐えながらカトリックの信仰を代々守り続けてきたいわゆる隠れキリシタンである事実を話し、プティジャン神父を喜ばせた。この「信徒発見」のニュースはやがて当時の教皇ピウス9世のもとにもたらされた。
教皇は感激して、これを「東洋の奇蹟」と呼んだという。この日は現在カトリック教会では任意の記念日(祝日)となっています。
博物館では、「キリスト教の伝来と日本の歴史」「禁教期・潜伏期の歴史」「大浦天主堂と26聖人」などが学べます。
わたしにとっては、外海地方のド・ロ神父の歴史を振り返られるのはとてもよかったです。
グラバー園からオランダ坂へ
大浦天主堂とグラバー園の間で、道標を発見。
南山手町
旧グラバー邸は工事中でしたが、グラバー園の「リンガー邸」「オリバー邸」をゆっくり見学。
気温も上がってきて、ベンチで海を眺める。ゆったりしてるなあ。
動く歩道を使い、第二ゲートへ向かう。
ここから出るのは初めて。
すぐ左手に、エレベーターあり。
そこから少し歩いて、グラバースカイロード乗り場へ。
住民用の斜行エレベーター(無料)です。
グラバー園の方を振り返る。かなり近い。
一番下まで降りていきます。
初めての乗り物は楽しい。
大通りに出る手前で、果物屋発見。
テイクアウトできるような感じ。
入ってみると、カットされた様々な果物たちが!
しかも、ワンパックどれでも110円。安い!
3つくらい買いたかったが、おなかの調子もあって、ひとつだけ。
悩んだ結果、「柿」を選択。
とてもおいしいです。おススメです。座って食べれます。
石橋駅を横目に、大通りを横断します。
5分くらい歩きますと、オランダ坂入り口に到着。
左は赤レンガ。右は石垣。
和洋折衷が似合います。
横手の小道が気になります。
入っていくと「長崎市古写真資料館」の施設。
市指定有形文化財「東山手洋風住宅群(7棟)」のうち、3棟を古写真資料館、1棟を埋蔵資料館とのことです。
古写真資料館では、幕末から明治期の長崎の外国人居留地と市街地の特徴をよく表している古写真147枚を90点のパネルにして展示している他、わが国における写真の開祖といわれる「上野彦馬」の偉業や日本における写真の歴史を紹介されていました。
パネルの写真を撮ることはできないので、窓から見える風景を当時の雰囲気をのこしたまま撮ります。
明治中期の建物だそうです。
上野彦馬という人は、単なる写真家ではなく、化学者であることが良くわかります。
感光剤に用いられる化学薬品の自製に成功して、きれいな写真をつくることができています。すばらしい。
幕末から明治初期にかけて、長崎には多くの外国人が訪れており、当時の最先端技術が持ち込まれていたので、学びの場としては最高だったに違いない。
学んで、思考して、実践する。
この繰り返しで、自分のものになっていくのだな。
オランダ坂を歩き歩き、坂を上り下りして、長崎の街歩きを楽しみます。
そうこうしているうちに、新中華街にたどり着き、現代の長崎に戻ってきた。
4日間にわたる「長崎編」完結。
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